私が殺した探偵

manatsu
·

 今日、私は、私の探偵を、殺した。

 彼のことが憎かったわけではない。それでも、状況を鑑みて始末するしかないと思ったのだ。

 彼は私の10年来の相棒で、私と同じ銘柄のタバコを好む男。私とどこか似ていて、ある意味似ていない不思議な存在。私の思考を最も理解し、私の手足のように動き、私のコントロール下にある存在。そうだ――いうなれば、彼にタバコの味を教えたのは私とも言える。

 優しさだけが取り柄の凡庸な男。中肉中背、どこにでもいるような目立たない容姿。尾行で人混みに溶け込むにはうってつけの地味さは、彼の仕事が天職であるように思われた。ただ、華がないのは否めない。探偵小説で話題になるのは、個性が強く、特徴的な容姿の探偵ばかりだ。私の探偵には、スター性が全くなかったと言えるだろう。

 釣りが趣味だが、一日ぼーっと釣り糸を垂らしているだけで、釣果は問わない。ただ、思考をめぐらせるために釣りのスタイルを好む。時折釣り堀の仲間から情報を収集する。彼は私の行動すら真似ていた。

 何か抜きんでたところがあるわけではない。

 珍しいところと言えば、「探偵」という職業だけ。現実の探偵は殺人事件など解決しない。浮気調査や迷子のペットの捜索、尋ね人に結婚相手の経歴調査など、ともかく、地味で地道な仕事をしていた、普通の探偵だった。普通の人々に重宝され、時に感謝され、ちょっとは憎まれる。そんな普通の男だった。

 それが珍しく、殺人事件に巻き込まれてしまった。平凡な人間が殺人犯の秘密を握ってしまったらどうなるか。火を見るより明らかだ。探偵はあと一歩のところで命を落とし、友人の刑事にヒントを残して舞台から去る。

 我ながら面白い筋書きだと思った。主人公が死んでから事件が解決する。読者はきっと驚くだろう。

「先生、本当に本当に、今作でシリーズ完結なのですか」

 担当編集者の柏木君が、原稿を握りしめながら何度も訪ねてくる。

「読んだんだから、わかるだろう。探偵は死んだ。これで続きを書かなくて済む」

「ファンが黙ってないと思います」

「ファンなんていたのか?」

「いますよ! 僕だって、先生の書く探偵のファンです」

 シリーズ第一作から担当してくれた柏木君は、この作品に思い入れがあるようだ。私からしてみれば、これは数多く書いた作品のうちのひとつでしかない――そう思うのは強がりだとはわかっている。私にだって愛着くらいある。

 だが、平凡な人々の、ちょっとした事件のアイデアも尽きてきた。それに、ファンレターだってシリーズを重ねる度にだんだんと減ってきた。みな私の書く平凡な探偵に飽きてきたのではないか。書けば書くほどに、ファンレターの数が減るたびに、私の自信は失われていった。平凡な探偵は、凡庸な作家としての自分を反映しているかのようで、辛く思うこともあった。そろそろ潮時なのではないかと思う。

 このシリーズが終われば、柏木君が所属する出版社との契約も終了。私はひとつ、仕事を失うことになる。だが打ち切りを宣言される前に、自分で美しく幕を引きたかった。それがせめてもの、作家としての意地だった。

「コナン・ドイルは、ホームズを殺したせいでファンから脅迫状を受け取っています」

 ドイルとは大きく出たな。柏木君には悪いが、君が担当している作家は探偵小説の大家ではない。どこにでもいる、ぎりぎり食いつないでいるだけの三流作家だ。たまたま書いた探偵小説が、なぜだかシリーズ化したものの、爆発的なヒットまでは飛ばせなかった。中堅よりちょっと下の、掃いて捨てるほどいる凡庸な作家だ。

「脅迫状なんて来ないよ。生き返れないように、火葬のシーンまで書いた」

「もし、外部から脅迫状はこなくても……」

「だから、来ないよ」

「僕が脅迫状を書きます!」

 柏木君。君のそういう優しさが、私にはとても愉快で好ましい。だが口には出さずに、ただ、笑ってみせた。

 探偵を殺したことは後悔していないが、君と仕事ができなくなるのは、少し寂しいよ。

[お題] 優しさ、タバコの味、釣り(ランダム3単語で1文)

@manatsu
文章の練習をしています