仕事の取引先で、しばらくぶりにお会いした方が菜食になっていた。少し話をすると、動物愛護の観点からそのように食生活を変更したという。相変わらず煙草はスッパスパだけど(汗)、充実しているように見えた。
社会生活の中で完全にとまではいかないが、お肉系に限らず昨今色々な物が大量生産の中で品質を落としているのを感じていたし、単純に興味があったので、その方から教えていただいたサイトからメルマガが一定期間届くように設定していたがなかなか読めずにいたのを、この年末大掃除で一気読みした。
その中の1つで紹介されていた動画がこれまた衝撃的で…米方式だからこんな雑なのかと思ったら、国内でもそうやり方は変わらないのを知った。これが物、生地等なら傷み具合によって雑巾にしたりと、最後まで無駄なく使いきれるので良いと思う。鉄砲で撃って鍋にして毛皮も活用とかきれいに終わるのならいい。しかし、これを動物で長期的にとことんやるというのは恐ろしい…
野菜もそうだけれど、生物の周期を狂わせてまで年中生産して、しょっちゅう余って捨ててるじゃん…?いや~、文明が便利になろうが、やっぱり機械の体に移行していない動物としての人間はいつの時代も色々考えてしまうらしい。売上前年比どーのこーのだの。進化したい病かな?(;´Д`)
困ったことに、私が見た食品はほぼ全て工場生産される種類のものだったので、これは大丈夫という例外はなさそうなのだ。「いただきます」と心の中で唱えながら食べるしかない。勧められたら普通にいただくし。
でも、これはチャンスかもしれない。動物性の食品代を別の食材に回せるし、スーパーで悩むことも減るよね。これは助かる。でも別の食材で工場生産でない物の選択肢はまだ残っているはずなので、調べてみようと思う。
…ということで、今夜の年越し蕎麦の具は野菜で…と思ったら、魚も残っていたので…いただきます…!(;^人^)多分後日親がくれるであろうお雑煮セットの鶏とイクラも楽しみだから食べるよ…!
ちょっと追記(/・ω・)/
やっぱり動物が自由に駆け回って色々やってる姿が好きだ。「動」だけに。以前飼っていたグッピーもミニ人形と追いかけっこしたがるくらいずいぶん懐いてくれたけど、最期は痛がって暴れまわっていたから、痛覚はある。
私たちは自分で捕らえて調理することもできなくなっていて、そういった流通も崩壊しているので、業者にお願いしている現状。正直、植物もどうのこうのだとか(こちらも感情のようなものがあるっぽいけど)厳密に分ける気はないし、そういう団体に所属するつもりもない。動物たちは生きるための血肉になってくれているということがわかっているだけでいいと思う。