今週は面談週間で、一週間まるまる授業が午前中で終わった。しかも、月曜日は土曜の公開授業の振り返りで学校が休みだった。
月曜日、友達を家に招く。学校唯一のお友だちだ。特に何をするわけでもなく二人ベッドに横たわるだけ。なんとなくオキシトシンが出ているよう感じがして気分がいい。その後は抱きついたりして遊んで、なんだかんだ普通の高校生らしいことをした。そして、車椅子で押してもらって最寄りの焼肉屋さんまで行って、焼肉を食べた。私は肉の部位に一切関心がないので何でも食べられてしまうし、肉が生焼けでないだけで美味しいと思ってしまうので、普通に楽しめた。相手はあんまり美味しくなさげにしていたけれど。舌が肥えてるって羨ましい。カップ麺もエナドリも摂取しないらしい。私はそればかり摂取したら一時期体重が55kgほどになった。というか、親がご飯を作らなかったり、不眠症で朝起きられなかったから、無知な私はそうやって栄養を摂取せざるを得なかったのだが。舌なんて痩せてれば痩せてるほどお得ですからね。安くてまずくて量の多いもので満足できる。
火曜日、特に何事もなかった。物理が意味不明の範囲に突入していた。私はまだWAIS(IQを測る心理検査)の結果を受け取っていないのだが、いかにも知覚推理が低いのだろうと感じだ。まぁ簡単に言うと算数の能力。もう少し言えば空間認識能力だ。そこが極端に弱い自信がある。私は現実を平面としか捉えられない。どれだけ考えてもこの道が何mほど離れているのかがよくわからない。等加速度直線運動?のところで完全に躓いてしまった、要するに物理基礎の一番最初の単元だ。入院していたせいで先生の説明を一切聞いていなかったので、なかなかノートと教科書だけでは理解に時間がかかる。私は人に説明されることで理解するほうが得意なので、結構そこで困ってしまう。しかもかなり今までの課題が溜まっているので、物理なんてやってる場合じゃないところもある。友だちに聞いてみても、完全に感覚で解いているらしく、説明を聞いてもさっぱり理解ができない。親に聞いてようやく理解をすることができた。
水曜日、この日も物理がある。小テストもあったのだが、一問目の問題があまりにも馬鹿すぎた。「テーブルの上に皿に乗ったドーナツがあります。ドーナツには重力がかかっています。その重力はどこからかかっているでしょう。1テーブル。2皿。3ドーナツ。4地球。」びっくりした。高校の問題です。これが。流石に間違える人はいないと信じたいですね。しかも、最初、間違えてテストの答えを印刷して配ってしまったため、答えが全てバレている状況だった。全員満点が取れてしまう状況だった。普段居眠りや授業中のスマホの使用に厳しい先生が、そんなミスをするのかとびっくりしてしまった。その後の授業で、本当の基礎の基礎の確認で、sin30度の大きさを生徒みんなで答える場面があったのだが、誰かが「3分の~」とか言ったせいでクラスは騒然とした。先生も呆れ気味で怒っていた。流石に2回目はあっているだろうと思ったが、2分のルート3とか言い出したやつがいて、またもやクラスが静まり返った。先生もなかなかキレていたと思う。信じられない高校だ。そんなこんなで水曜日も終わった。
木曜日、授業では特に何の変哲もないまま終わった。強いて言うなら、推定40代の英語教師の恋愛事情でクラスが少し盛り上がった程度だ。低俗な雰囲気に反吐が出る。体育は、先生と見学している最中に雑談を交わしたのだが、「言葉って良いよね」とか言い出してびっくりした。どれだけ薄っぺらくて陳腐でチープな言葉なんだ。体育教師って何も考えていないのか。それとも安っぽい人間を演じることで自分の感情を守っているのか。それがわからずもやもやした。その後はバスに乗って、学校の最寄り駅まで行って、月曜日に遊んだ友だちと遊んだ。カラオケに行った。悪いことをした。ここでは書けないぐらいに。書かないでおきます。決して書かない理由はドストエフスキーリスペクトではなく、完全に書けない内容だからです。ご想像にお任せします。私のツイートを見ていたらなんとなく予想はつくと思いますが。まぁかなり楽しかった。もう一回したいけど、公序良俗に反するので怖いですね、かと言って家でできることでもないし。
金曜日、その日も体育があった。外体育でテニスで、暑かった。体育は見学するとレポートを書かないといけないのだが、みんながテニスをしているだけで感想なんて一切湧いてこない。文章を書くのを好む私が200文字書くのに苦労したレベルだ。途中からクラスメイトと授業そっちのけで雑談をしていたし。
その後は精神科だった。先生とは、死生観や、自分の人生遍歴の話をした。今まで幸せだと感じた期間がないこと、生きるのがめんどくさいから希死念慮があること、人が悲しむから死んではいけないという理由がよくわからないこと、そもそも命が大切という感覚が欠如していること。自殺しないと誓えないこと。色々語っていたら先生に大病院に行くように勧められてしまった。当たり前だ、「拳銃が目の前においてあったら、迷わず死ぬと思います。」なんて言ってしまったからだ。そもそも幸福感というものがよくわからない。人と触れ合ってオキシトシンが出ているとき、メジコンを飲んでセロトニンが出ているとき、LSDで幻覚に浸っているとき、そういう脳内物質での幸せはわかる。要するに短絡的な幸せは理解できるのだが、人生を長期的に見たときに、一度も希死念慮がなかった時期がない。はじめは母親に叱責されることが原因だったが、いつしか偏差値に固執するようになり、中学時代は、人間関係と校風の雰囲気の合わなさに希死念慮を抱いていた。でもやっぱり、根底にあるのは生きるのが面倒くさいという理由だけだった。自分で話していてこんな薄っぺらい理由なのだと自分で拍子抜けした。だが、この状態は精神科医でも頭を抱えるレベルで酷いらしく、大病院に転院するように言われた。未だ治療方針が立たないらしい。そりゃそうだ。休養は嫌だけど鬱状態は治したい、執拗に薬は要求する、死生観が人とかなり乖離している。こんな面倒くさい患者を小さな規模のクリニックが診きることなんてできない。そもそも生まれ持った性格がこんなのなのだから、治療もクソもない。一生希死念慮と付き合うことになるのだろう。自分のことには関心がないけど、精神には関心があるから、永遠に考え込んでしまう。ずっと人間を画一的に捉えて評価して見下す癖がある。だけど人間関係は希薄で、一人の人に執着してしまうフシがある。所謂依存ってやつだ。やめたほうが良いのはわかりきっているのだが。今までずっと一人の人に固執してはウザく思われて煙たがられていた人生だった。それが高校に入ってから所謂相思相愛と形容するべきか。互いに仲のいい友達ひとりに恵まれた。嬉しい限りだ。その友達には、先に死なないでと口酸っぱく言われているのだが、どうしても守れる気がしない。頭では、理性では心ではいけないということを理解しているつもりだ。しかし、本能として、自殺を望んでいるから、例えば確実に死ねる毒薬があったら迷わず飲んでしまうだろう。そういう生物として生まれてしまったのだ。精神科医に、恋人が欲しいとか、おしゃれに興味はないのかとか聞かれたが、それにも一切興味がない。自分や他者に関心が薄すぎるということが今日のカウンセリングでよくわかった。
その後はニトラゼパムを20mg摂取した、半分はスニッフ、もう半分は経口摂取だ。特に効き目はまだ来ていない。実際今こんな感じで文章も書けているわけだし。
そんなこんなで今週の平日は終わった。日曜日にはオープンキャンパスがある。楽しみだ。では、おやすみなさい。