これまでの独自研究の成果の整理する。
ヘヴィメタルというジャンルの成立は1979年に遡る。プロト・ヘヴィメタル的なサウンドやヘヴィメタル(重金属)という言葉を音楽評に用いた例はそれ以前にもあったが、明確にヘヴィメタルが音楽ジャンルとして成立したのはNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)である。折しもロンドンは1970年代から続く不況下、パンク・ロックは政治的で暴力的であったが、すべての若者がそれに賛同したわけではなく、労働で日銭を稼ぐ若者たちがひと時の現実を忘れるために享楽的にのめり込んだ現実逃避的なロック・ミュージックの一形態がヘヴィメタルだった。成り立ちから白人労働者の週末のビールのお供だったわけだ。また、失業者が成り上がるための手段でもあり、当初から売れ線指向でもあった。歌詞もファンタジーや享楽的なライフスタイル、恋愛、ホラーなどのエンタメ、バカバカしいものに終始している。この新しいロックンロールのスタイルは当時の保守、左翼の両方からも危険視されたとのことだ。要するに無気力からの無関心なんである。
一方で、若年白人男性限定のカルチャーにも関わらずホモソーシャル、人種差別的な面が出ていないのが特徴で、個人的には自分の青春時代(90年代中期)の日本の空気感に非常に親近感を得る。政治的に無色であり、(自身の特権性に無自覚な差別は除き)差別的でもないという。端的に表現すればオタクである。とりあえず問題を起こさない程度に勉強、仕事をして、不満はあるが現状に逆らわず、同じアニメや漫画、ゲームを消費して仲間内輪で盛り上がりストレスを解消する。ただその繰り返し。
このヘヴィメタルのライフスタイルが保守、左翼の両方から危険視されたのは政治への興味の欠如、不参加である。これが10年、20年と続けばそれはすなわち代議制民主主義の崩壊を意味する。NWOBHMのムーブメント自体は数年と短命で終わったが、その政治的無色のエンタメは世界中に広がった。フォーク・ロックやパンク・ロックを塗りつぶし、ビルボードチャートはヘヴィメタルがポップスと結びつき、無色透明に作り変えてしまった。
また、その政治的無色さ故にヘヴィメタルは様々な思想に利用される。マチズモ、反キリストからキリスト教主義、またはナチズム、ヒーザニズム、神道と結びつくこともあるし反戦である一方で優生思想を押し付けるバンドもいる。現代ではどのスタイルのヘヴィメタルもアリになっている。
恐ろしいのは、現代のオタクの右傾化が凄まじいのと同じ原因だと私は思っているが、資本に取り込まれたカルチャーというのは、意識的に無意識化に思想を刷り込んでくるということだ。当時のヘヴィメタルは政治的無色透明であったが、今のコンテンツはもはや無色透明ではない。男女二元論に基づくジェンダー規範や資本主義による競争原理、能力主義による選別などがコンテンツを通じ美化され我々の無意識に働きかけられているということだ。
現代のヘヴィメタルは逆説的だが意識的に政治的になることで、無意識に働きかける差別思想を除去し、ルーツたるNWOBHMの持つ誰も排斥しないエンターテイメントに立ち返る必要があるのではないだろうか。