私は、多くの学生がそう述べるように、海運業界のダイナミックさ(動く金額や、多くの人に与える影響)に惹かれてこの業界を選んだ。大抵、グループ面接でも周りの学生も似たような志望動機を述べていたように思う。
ところが、働いてみると、マクロ、ミクロでいうと後者の視点で仕事を行うことが多いことに気が付く。意外にも、泥臭い仕事は多く、学生の私が抱いていたような壮大で輝かしい海運の姿はあまり多くはない。細かなデータの入力作業、アナログな現場のデータ収集、現場作業員さんとの調整(喧嘩)、代理店、荷主、船社との調整などである。(港湾部署ということもあるのかも)
そんな環境下で働いてきて、私はどちらかと言えば、顔の見えない、海の先に荷物を待つお客様よりも、目の前の人たちがよりよい状況になることのお手伝いをしている時の方が「やりがい」を感じることに気が付く。それは作業員さんがラクになるような改善をしたり、荷主にとって良い提案をして彼らから感謝されたときである。
多くの人にとって前者の方がかっこよく聞こえるのかもしれない。ただ今時点での私のかっこよさの定義は「目の前の人の状況をよりよくする」ことにしておきたい。バタフライ効果ではないけれど、目の前の人を良い状態にすれば、おのずと、その周りの人を幸せにすることにも繋がっていくはずだろう。
もちろん経済の動向や世界情勢が机上の仕事に直結してくるダイナミックさが海運の魅力でもあり、面白いことでもある。ただ、総論で語られる魅力と個人的なやりがいやかっこよさはそこに引っ張られる必要はないのではないか、と思った次第だ。