2025年10月13日〜2025年10月19日

マルカワウソ
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公開:2025/10/27

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2025/10/13

通販していた、たけのこスカーフさんのZINE『わたしのケア帳』が届いたので、朝ごはんを食べながら読み始めたら、コーピングの一つとして初っ端から「焼きたらこを飴玉のように口に入れて散歩する」とあり、衝撃を受ける。あまりにも自由で面白くて格好良くて元気が出た。

本日は錦秋十月大歌舞伎、第二部へ。松竹130周年を記念した三代狂言の通し上演の最後を飾る『義経千本桜』。気持ちとしてはABプロ、どちらも通しで鑑賞したかったけれど、松竹歌舞伎界の上会員の先行販売で土日のお手頃な席はかなり売り切れてしまっており、悩んだ末に断念して片岡仁左衛門丈が出るBプロ二部のみ。その分1階席を奮発したが、良かった。一生物の観劇だった。片岡仁左衛門丈の限界まで削がれた肉体が、不条理な悲劇によって神話の彫刻となる様を見届けたと思う。正に至芸。人は生きながら、ここまで到達することができるのか。

いや、しかし三段目・通称『すし屋』、いがみの権太、こんなにも辛い話だったのか……。数々の悲劇を歌舞伎で見てきたけれど、一番しんどかったかもしれない。いつか菊五郎さんで見るの勇気がいるな。

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2025/10/14

昼食のお供に王谷晶さんの『ババヤガの夜』読み始める。英国推理作家協会賞(ダガー賞)受賞作品。1ページ目から、フルスロットルのバイオレンス。生々しい痛みを伴うような描写は、映像だと苦手なのだが、文章なので大丈夫だった。話題作ということで、映像化の可能性もあるだろうけれど、映像になったら多分見られないと思う。すいすい読めてしまうものの、本の裏表紙のあらすじを時折見返しては、じっとりとこびりつく嫌な予感で立ち止まってしまう。

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2025/10/15

ゆるーくペスカタリアンを実践していくにあたって、魚や肉なしレシピは見つける度に保存しておくようになった。今日は長芋とじゃことはんぺんのバターじょうゆ炒め。長芋は皮を剥かずそのままでいいし、材料切って焼くだけの簡単さ。在宅の昼休みにちゃちゃっとできて良い。

待ちに待った情報解禁。国立劇場が主催する菊五郎劇団(六代目尾上菊五郎の死後結成された歌舞伎俳優の団体)の初春歌舞伎公演が『鏡山旧錦絵』とのこと。『加賀見山旧錦絵』はずっと見たかった歌舞伎の演目の一つで大歓喜!元は人形浄瑠璃で、後半部分を抜粋して歌舞伎で上演するときは『鏡山旧錦絵』とするらしい。実際に起きた事件が元となっている女の主従関係による仇討ちの物語。通称女忠臣蔵。菊五郎さんは襲名してから初の舞踊以外での女方(待ってました!)、出世を妬まれ計略によって自害した主の仇を討つお初のお役。楽しみすぎる。

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2025/10/16

めまいがだいぶなくなってきたと思ったら、再びの腕のしびれがひどくなる。実は一度しびれはおさまっていたものの、腕の微妙な違和感はずっと続いていた。ほんとにリンパ浮腫の前兆ではないの?乳がんの治療が終わってから、なんやかんやと不調があり、一度も体がすっきりした心地がしない。

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2025/10/17

自民党の総裁になった高市が、維新やNHKと接近しているとの報。最悪な形での極右政権が生まれてしまうかもしれないときに、日常の何を言葉にしようとも空虚さがつきまとう。

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2025/10/18

今日は歌舞伎を見に、名古屋まで。大阪よりずっと近い。行きの新幹線の中で『ババガヤの夜』読み終える。なるほど、これは推理小説として賞を取るのもわかる、という展開にしてやられる。決してハッピーエンドではないが、女性にとってはおぞましいほどに残酷な世界で、それでも大谷さんの眼差しは優しく、紡がれる物語はロマンチックだと思った。

名古屋・御園座での吉例顔見世興行は八代目尾上菊五郎・六代目尾上菊之助襲名披露。再びの京鹿子娘道成寺他、古典作品で固められた信頼のラインナップでとても楽しみにしていた。関西在住のRと落ち合い、一日観劇。

操り三番叟:團菊祭の『寿式三番叟』と同様、千歳と翁の厳かな舞踊の後、今回は糸繰りの人形が三番叟を踊るというユーモアあふれる趣向。人形役の役者(鷹之資丈)が箱から出され、人形使いの役者(吉太朗丈)が糸で操るような演技をする。面白いと思ったのは、人形は空に浮いているという設定なので、足音を立てず、人形遣いが文楽と同様、舞に合わせて激しい足踏みをするところ。人形になりきった鷹之資丈の人間離れした動き、吉太朗の細やかな所作は艶っぽく、共に目が離せなかった。

芦屋道満大内鑑 葛の葉:安倍保名に命を救われた白狐は、保名の許嫁である葛の葉姫に化けて夫婦となるが、ある日、本物の葛の葉姫とその両親が訪ねてきたことで、白狐は保名との子を残して去っていくというお話。主演の時蔵丈は、葛の葉と白狐の二役。早変わりに加えて、泣く子を抱いたまま障子に別れの一首を書く場面(狐故に、鏡文字になったり、下から書いたり、口で筆を咥えて書いたりする。それでも達筆なのが凄い!)、ぶっ返り(一瞬で衣装が変わる仕掛け)の立ち回りと見どころ盛り沢山。圧巻。ちなみに、保名と白狐との子が後の安倍晴明となるという設定。

京鹿子娘二人道成寺:五月の團菊祭では玉三郎丈と三人だった道成寺を今回は菊五郎・菊之助親子で。たった5ヶ月しか経っていないのに、菊之助くんが随分と大きくなっていて驚いた。それだけではなく、踊りに格段に余裕がある。表情にも時折微笑みがあり、要所要所「どうだ」と言わんばかりに気を吐いているように感じられた。まだ12歳。その負担を思うと、どう見たら良いのかとこちらが勝手に戸惑っているうちに、こんなにも成長してしまうのかと。菊五郎さんは、菊之助くんが生き生きと踊っている側で、ギアが一段上がっているような感じ。今回は最前列、御園座は歌舞伎座よりもコンパクトなので特に菊五郎さんが一人で舞うときは、その濃密な世界観がダイレクトに届いて、酔いしれるとはこのことか、と思う。襲名公演では一貫して舞踊を演目として入れているところに、菊五郎さんが当代第一線での踊り手として名乗りを上げているように感じられるし、それに異論は全く出ないだろうと思わされる圧倒的な舞である。撒き手拭いは、無事、わたしもRもゲットできました。やったー!(ポジティブまひろ)

鼠小紋春着雛形 鼠小僧次郎吉:実在した義賊・鼠小僧を題材にとった河竹黙阿弥の世話物。主役の鼠小僧こと稲葉幸蔵を代々の菊五郎が演じてきた音羽屋ゆかりの作品。義理人情話とのことで、スカッとする内容を想像していたのだが、随分と空虚なヒーロー像に少し驚く。鼠小僧こと幸蔵は、盗人になりやすいという庚申の生まれで、それが元で親に捨てられてしまう。親元を離れることでその定めがなくなるという考えによるものだが、赤子の幸蔵を拾ったのは大悪人のお熊。結局、幸蔵は盗人になってしまうものの、裕福な家からしか盗まず、金銀を貧しい人に分け与える義賊となる。しかし、人助けにと盗んだ百両が元で、様々な人の運命が狂っていく。善意故とはいえ、所詮は、盗み。所詮は、人の金。という、シビアな眼差しが根底にあるように感じる。しかしそれが、生まれ持った運命から逃れられず、悪人の元で育った幸蔵の精一杯の生き様であり、哀愁の中に役者の色気が込められるか、というのが、見どころと思う。雪の中、菊五郎さんが花道を番傘片手に現れるときの風情の美しさが忘れ難い。

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2025/10/19

昨日一日出かけていたので、今日洗濯と掃除、買い出し。まぁまぁ、疲れは残っているけれど、なんとか。

漆で欠けを埋めた器を仕上げる。お茶碗と菱形のお皿の小さな欠けは銀継ぎ。黄色い小皿の欠けは弁柄漆(赤い顔料を混ぜた漆)を塗ると馴染みが良かったのでこのままで。

粗忽者なので、気に入っているものもすぐに傷つけてしまうのだけれど、傷つけてしまったものの方がなぜか愛情が増して長く使えるということがあるように思う。

@marukawauso
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