従来、福井から東京へは福井駅から特急しらさぎ→米原駅で東海道新幹線への乗換ルートがあった。新幹線の延伸を、と新聞で読んでいてもあまり必要性は感じておらず、ふうううん、ぐらいだった。
他人事のように思っていたのが変わったのは、実家近くに新幹線の高架が建設されてから。びっくりした。
「既存の北陸本線」線路を新幹線が通るのだと思ってたのだ。何を言ってるんだと思われるかもだけどそれぐらい私は鉄道への知識はなかった。上り下りも理解出来ない(これについては理由があるの聞いてほしい福井から金沢行きの北東ルートが下りで、米原行き南下ルートが上りなのがイミフだった※同じく高速も分からなかった※※今は理由が分かったので理解は出来てる)。
毎日見ていた田園風景が変わったのがとてもショックだった。この頃には地元から離れていたのもあって、帰省の度にどんどん進んでいく工事風景についていけなかったのもある。
写真は、2021年の11月。山がね、半分なくなったの。2枚目は逆方向。
変わったのは別に高架だけじゃない。ずっと長い間空き地だった場所に家が建った、すっごい大きいつららが出来る織物工場が取り壊されて住宅になった(2歳上のゆきちゃんが雪だらけになってつらら取ってくれた)、幼い頃から通った近くの小さい商店は白昼強盗が入りおばちゃんがその後暫くしてお店を閉めたこと、田んぼが続いていた場所は新興住宅地になった、大きい立派な庭園があった角のおうちが荒れ果ててジャングルみたいになっている、新しい道路、信号機ができた(なかったんですようちの集落)、田んぼだったところに小学校が建った、変化はいくつもいくつもあって、数ヶ月、年単位でしか帰省できず帰る度に故郷が少しずつ少しずつ姿を変えていった。
仕方ない。変わらない風景なんてない。人が暮らしていく中で変化しないことなんてない。
そしてショックはこれだけじゃなかった。私は本当に分かっていなくて、今までの北陸本線に新幹線が追加でこんにちはなんだと思ってた。新幹線開業のルートから、特急が消えるって知らなかったの。知ったのは多分去年ぐらいだったと思う。全部JRのままだと何の疑いもなく思ってたのが、今まで利用していたJRは、北陸本線は、第三セクターになるからJRじゃなくなる、が一番理解できなくて、まだ理解が出来てないままだったりする。
家から徒歩で20分かからない駅の真横にあるガードは、いつも自転車でくぐり抜けた。大雪が降ってスクールバスが来なくて、保護者付き添いの集団登校でせっせと胸の高さまである雪道を歩いたとき、ガードを抜けて駅前までの道を初めて歩いたことを覚えてる。一面雪で覆われた駅舎。高校で電車通学していたときは、たまに好きな人を見かけては気づかれないよう小さなガッツポーズをした。おばあちゃんは「電車乗って映画見に行く」と言うと伝わらなくてJRのことは「汽車」と言わなければ別の私鉄と混乱してた。
駅がなくなるわけじゃない。廃線になったわけじゃない。でもひたすら寂しい気持ちが止まらない。
大阪へもよく出かけて、最寄り駅から普通電車に乗り、福井駅から雷鳥やサンダーバードに乗り換えると後はそのまま一直線に行けた。敦賀を出ますと京都まで止まりません。京都を出ますと、新大阪・終点大阪の順に止まります。アナウンスを覚える程度には、何度も何度も乗った。綺麗だったのでサンダーバードに乗れると嬉しかった。でも大阪行き特急も、昨日限りで福井の駅を通過することはなくなった。
新幹線開業はおめでたい話だし、県として念願だったのも分かってる。おめでたい気持ちは私にもあるし、能登半島地震の復興にも繋がってほしい期待もたくさんたくさんある。寂しいよりも小さいかもしれないけど、嬉しい気持ちはちゃんとある。
実家に電話したら、畑にいると新幹線通る音が聞こえるよと母が教えてくれた。あっけらかんとした声で「あ!新幹線通ってる!って思うだけ」そんな風にからから笑いながら。