花を育てるひと

あさぎ
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父がショックを受けている。夕食をほんの少し残す。いつもより早く布団に入った。その心に私も自分を重ねた。

昨年偶然見つかり切除した癌がまた再発したかもしれないと今日お医者さんに言われたのだ。でもまだ小さくてわからないから、夏に検査しましょうとのこと。検査も辛くて一週間前からブルーになってるらしい。それを父は昨年から3ヶ月置きに繰り返している。

居間のファイルには、検査結果に細かくメモが残ってた。関係ないような項目も細かく何を食べると良いか、魚の名前をいくつもいくつも書いて、そういえば夕食に刺し身を買ってきてくれていた。知らずに私ばっかり美味しい美味しいってモグモグ食べてた。

わかるよお父さん、私もそうだよ。卵そうの病気何度も何度も繰り返して、その度今度こそ癌なんじゃないかって泣いたから。先生が気になるっておっしゃると心臓ドキンってするよね。

お皿をしまうついでに背中をぽんぽん叩いて、見つけるのも治してくれるのもお医者さんががんばって下さるんだから、夏まで一旦忘れよ!よく食べてよく寝よ!とへったくそな声をかけた。

母も私も義姉も、早く分かって良かった、って何回も言った。自覚症状がない癌なので手遅れになりがちなんだって。良かった。見つかって良かった。

違うよ。見つかってほしくなんかない。なんにも見つかってほしくなんかないんだよ。

実家には畑があって、今は大分小さくなったけど私が子供の頃はもっと広かった。苺。西瓜。金柑瓜。プリンスメロン。トマト。キウイの木もあった。ツツジの花は蜜を吸った。野菜もたくさん作っていたけど、私の好物はいつもたくさん育ててくれていた。初めて作ったモロヘイヤを美味しい美味しいと言ったら翌年から大量に育てて母がちょっと困っていた。

その畑に、変わらず花がある。子供の頃から、チューリップやユリ、スイセン、ダリア。「どうしてお父さんこんなに花を植えてるかわかるか?」と聞かれたのでキレイやから!と返したら、「お花を貰って嫌な気持ちになる人はいないから」が子供の頃に教えてもらった父の答えだった。

学校にもよく持っていって、教室だけじゃなくて保健室にもよく届けた。兄姉全員お世話になった三田先生はいつも喜んで下さってた。6年お世話になったのに顔を思い出せない。きっと写真を見たら分かるのに。

どうして私はこんなときもっと上手な言葉を探せないんだろう。

やさしいひとになりたい。でも弱くじゃなくて強くありたい。私は自分がつらいときになぐさめてもらうばっかりで、でもそれじゃ駄目で、安心できる言葉を元気になれる言葉を渡せるようになりたい。花をもらった人が笑ってくれるように。

へったくそな言葉ばかりの自分の引き出しを、いまずっと他にないのかって探してる。ヒマワリみたいに上を向ける言葉がいい。

痛いのはちょっとぐらいだけなら代わってあげたいけどなんかもう他にないのかって呆れてしまう。

ね。元気でいてほしい。それだけ望んでる。