上流工程に憧れるデザイナーへ、幻想と現実の話

masatosuzuki
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デザイナーがよく言う「上流工程をやりたい」って、なんとなく響きがかっこいいよね。たぶん、デザインやプロジェクトの偉いところに立って、「あれはこうだ、これはこうすべきだ」と、誰かに指示している自分を想像しちゃうからかも。それに、お金もそれなりにもらえるし、仕事の「格」が一段階上がった感じがする。もっと自由に、もっとクリエイティブに…ってね。

でも、実際どうだろう。上流工程に立つってそんなにドラマチックなことなのか。夢の世界にいるときは「上流は完璧で素晴らしい」って思うけど、実はそこにあるのは、ただの役割と責任だったりするんだよね。私たちが思うような「特別なステージ」ではないっていう現実。ああ、ちょっとガッカリしちゃうかもしれないけど、これがリアル。

それでもやっぱり、誰しもが一度は「上流に行けば、もっと偉くなれるかも」って夢を見たことがあるはず。そして、私もその夢を見て、見事に打ちのめされたうちのひとりだ。どれだけ期待しても、そこにはただの業務とデータと、説明を求められる日々があった。

だけどさ、幻想が破れて見えてくるものもある。期待してた「理想の上流」はそこにはないかもしれないけど、「それでも進んでみるか」って思える何かがあるのも確かなんだよね。この道があなたにとっての正解かどうか、それを知るためのヒントを、ちょっとだけ共有させてもらうよ。

ー 上流工程に対する「よくある幻想」

デザイナーとしてしばらく働いていると、誰しも一度は思うんだ。「上流に行けば、自分のセンスがもっと輝けるはず」ってね。でも、ちょっと待ってほしい。上流に行くと、そこにはイメージしてたような自由な表現や想像力を振り回せる世界が広がっている…かというと、そうでもないんだ。

まず、上流だからって特別「偉い」わけじゃない。

実際のところ、上流でやることは、データや根拠に基づいた判断の連続。見た目やセンスだけで決められるものは少なく、数字や理論に沿って「なぜこれを選んだのか」を説明する責任がのしかかる。あの「偉そうに見えた上流の人たち」も、実はその説明責任に追われてただけなんだ。

それから、「自由にできる」というのも幻想だ。好きなようにやれそうに見えても、上流にいると、意外とたくさんの人が「こうあるべき」と口を出してくる。クライアントの意向、上層部のゴーサイン、チームのバランス…。みんなが思ってる「上流ならではの自由」は、かなり限定されたものなんだ。

だから、もし「上流に行けば何でもできる」と思っているなら、それはちょっと違うかもしれない。でも、だからこそ面白い部分もあるのかもしれない。幻想が壊れた後に、意外と手ごたえのある「現実」が待っているんだよね。とはいえ、ここに来るまでに見てきた「偉い人たちのあの感じ」が、実は幻だったと知ると、なんか笑えるよね。

ー 上流工程の「現実」

さて、憧れの上流工程。その「現実」をちょっと暴露してみようか。

まず、上流に携わるってことは、いわば「説明のプロ」になることを意味する。何を選び、なぜそうしたのかを、まるで詰め将棋みたいに論理立てて説明しなきゃいけないんだ。例えば、デザインの色ひとつ取っても「なんとなく好きだから」なんて理由は絶対に通らない。「この色を使うことで、ターゲット層の心理にどう響くのか」を、データや理論で裏付ける必要がある。

それから、上流にいると気づくのが、意外と「属人的」な部分も多いってこと。つまり、「社長が言うからこうしよう」なんて決まり方をすることがあるんだ。上流に行けばもっと合理的な判断ができるはず…なんて期待してると、この現実にけっこうびっくりする。所詮私たちは社長の肥えなのか?

そして、上流だからって自由が増えるわけでもない。むしろ、責任の分だけ束縛も増える。クライアントや上層部の意向、チームの方向性、プロジェクトの制約…。そう、好きなようにやりたくて上流に行くつもりなら、思っているほど「好きにはやれない」ことに直面するんだよね。

だから、「上流は特別で、もっと自由だ」というイメージが壊れたとき、「なんだ、これも結局は仕事か」って、どこか現実を突きつけられる瞬間がある。でも、その「現実」を知った上で、その中で何ができるかを見つけていくのが、実は上流工程の本当の面白さなんだ。

ー 上流工程で必要とされるスキル・経験

上流に行くなら、覚悟しておくべきことがある。いくつか「超えなきゃいけない壁」ってやつだ。

まずは、「デザインの原理原則」。これがなきゃ話にならない。なんでその色なのか、どうしてそのフォントを使うのか。上流では、「なんとなく良い感じ」なんてふわっとした説明は通用しない。そう、全ては根拠だ。データも、視覚的な理論も、きっちり武装しておかないと、意外にあっさり却下される。やりたい放題に見えるあの上流の人たちも、実はかなり慎重に準備してるんだよね。

それに加えて、幅広い知識と経験が求められる。上流って、デザインだけしてればいいわけじゃない。マーケティングの動向、トレンド、ターゲット層のニーズ…あらゆる知識を総動員して考える場所だ。「もう無理」って言いたくなる瞬間が多々あるけど、そこを乗り越えるのが上流工程に進む意味だったりもする。

そして、上流で意外と重要なのが「説明力」だ。何かを選んだり、提案するたびに、それを相手に伝える力が求められる。まるでプレゼン大会だ。あの人たちの会議は、実は一種の勝負みたいなもので、みんな真剣に「いかに自分の意見が理にかなっているか」を戦わせているんだよね。だから、根拠を持って説明する力、そしてそれを他者に「分かりやすく伝える」技術は必須。

「上流ならもっと自由にやれる」と思ってたのが、このスキルたちと向き合って、あれ、なんか思ってたのと違うぞ…と感じるかもしれない。でも、ここをクリアしていくことが、上流での「自由」を手にするための最短ルートなんだ。

ー 実体験から学んだ「上流に行くための姿勢」

私が「上流やりたい」と言ったとき、正直、周りからは「また何か始まったな」くらいに思われてたと思う。周りの反応はともかく、私は自分なりに「上流でやりたいこと」をアピールして、何度もフィードバックをもらったり、本を紹介してもらったりして、ようやくチャンスをもらえた。

でもね、いざ上流のミーティングに入ってみると、なにか「異次元の世界」に来たわけじゃなかったんだ。自分が想像してたようなドラマチックな変化なんてない。ただ、そこにはいつも以上に「理詰めの空気」と、冷静な判断が求められる雰囲気があった。

そして気づいたのは、「上流に行く」というのは「好き勝手できるようになる」ことじゃなくて、むしろ逆。もっと慎重に、もっと幅広く見ていかなきゃいけないんだってことだった。幻想だらけだったけど、でもそれは悪いことじゃなかった。「ああ、こういう現実もあるんだな」っていう感覚を持てたことが、むしろ成長につながった気がする。

そういう意味で「上流を目指す姿勢」っていうのは、好き勝手な理想じゃなくて、まず「謙虚であること」なんだろうなと思う。学ぶべきことがいっぱいあるし、偉くなるとか自由になるとか、そういう単純なものじゃない。今となっては、「上流に行けばもっと偉くなれる」と思ってたあの頃の自分が、ちょっと可愛く見えるんだよね。

ー 後日談

デザインのマネージャーをやっていると、時々「上流の仕事がしてみたいんです」って若手に相談されることがある。これ、業界のマネージャー層なら誰もが「あるある」と口を揃えて頷くはずだ。そう、いわば通過儀礼みたいなもんだ。

たいていの場合、こうした質問に私はつい真面目に返してしまう。「上流か、いいね」と言いながら、ついその人の興味やスキル、これからのキャリアについてまで話を広げてしまうんだ。女性の悩み相談、答えのいらない相談があるっていうけれど、私はその“都市伝説”を無視して、ちゃんとアドバイスをしたくなるタチだ。だって、どこかで「この先に行きたい」って意欲が見えるのが面白いし、応援したくなるんだよね。

そういうとき、大事なのは「上流」と一口に言っても、何を指しているのかを確認すること。要件定義なのか、企画やロードマップなのか。上流に限らずだけど、結局のところ「その仕事をしている人に話を聞く」っていうのが一番早いんだ。hicardだと、そういう相談もなく自然に「やってみれば?」という感じで進んでいくけど、組織によっては「興味があるならやってみよう」と背中を押してくれる環境があるといいよね。

最近はDPM(デジタルプロダクトマネジメント)も流行っているし、上流について考えるイベントも増えていきそうだ。

実際に上流工程たるものを経験した後の私、なんかこの苦いようなあっさりしてた期待外れさはなんだ?と思い出したのが「童貞卒業ってこんなもんか」という初体験だった。ぜひみんなにも童貞卒業をどんどん味わってほしい、そういうエッセイでした。

@masatosuzuki
クオリティ高くしすぎないでゆるく書いていき〜