デザイナーが集まるバーをやっていた時の話

masatosuzuki
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数年前、デザイナーのためのコミュニティバーを営業していた。

今ではデザイナー特化のコンセプトイベントはたくさんある。当時はあまりなく、物珍しくデザイナーが遊びに来てくれた。本当いい時代になったと感じる。

なぜバーを始めたか説明すると、30代になる前に何かしらの集大成を1度作りたかったことと、デザイナーのイベントに嫌気がさしていたから。

能動的に自分の作品、自分のプロジェクトを作るのが夢だった。どんなカタチでもいい、デザインをやって広告をやってブランドやサービスデザインなどある程度できるようになった時の力試し。

そして、デザイナーのイベントの内容の薄さ、営業と採用の不毛なポジショントークが嫌いだった。ただ、イベント後半にある「懇親会」と呼ばれるお酒を飲んでデザイナーと話す時間はとても有意義だった。ただ時間が少ない。形式的な名刺交換をして何も残らず終了。

これらを一人のデザイナーの問題として強く意識していたことが行動の始まりだった。

ー デザイナーのためのコミュニティバーFLAT

名前はFLATと当たり障りない名前にした。名前の由来は表向きの説明と内なるものと2つあった。1つは「ベテランも初心者も、これからデザイナーになる人も平等に話ができるように」を掲げていた。本当の意味、内なるものとしては「みんなで険しい山道を登り、頂上についた時の地平線が綺麗で素敵で、その話を誰かにしたい、そんなお店にしたい」という由来があった。

そんなバーは特別な場所でなくてはならない。入店はデザイナー、もしくはデザイナーを目指す人だけ。住所はわかるとこには公開しない、口コミで来て欲しかったから。営業は月に2回だけの第1,3土曜だけ。もしも毎日営業していて常連になったら、その人の仕事の邪魔をしてしまいそうで嫌だった。趣味もデート大切だからね。

バーのカウンターには、デザイナーがバーテンダーをしていて、デザインツールにまつわる名前のカクテルが注文できる。お酒を提供するだけじゃなくて、時にはキャリア相談に乗ったり、最新のプロジェクトの話を共有したり、何か一緒にやらないかとアイデアを交わしたり。そんなふうに、デザインの世界でつながりを深める場所を作りたかったんだ。席はなく、スタンディングスタイルのキャッシュオン。

デザイン業界は孤立を感じていた、と当時は思っていた。孤独に陥りがちなクリエイターたちが、本音で語り合い、刺激し合える場が必要だと思った。だからこそ、バーはただの飲みの場ではなく、デザイナーたちが共鳴し合い、新しい可能性を探るためのギルドのような存在になっていた、と今でも思っている。

営業はおよそ3年ほど、いろんなドラマがあった。その中で最近映画化できそうなエピソードがあった。

ー 中学生がバーに来店した

そのバーに、ある日、中学生がやってきた。始めは地元の人で迷い込んだのかな?そう思って声をかけた。

「ご予約されていますか?」

これは、このバーを知らない人を優しく退店していただく合言葉のようなもので、もしバーを知っているなら「SNSで見て」とか「〇〇さんの紹介で」など言ってくれる。その時、隣にいた母親のような人が声をかけてきた。

「この子がSNSで見たけど、バーだとこの年齢はダメでしょ?だから付き添いできたんです」

驚いた。

中学生がこのお店を見つけてくれるなんて。話を聞くと、中学生は将来デザイナーになりたく、今から勉強したり自分でも色々作っているとのことだった。SNSでバーの存在を知り、親に頼んで連れて来てもらったらしい。少し緊張した面持ちで、でも目はキラキラと輝いていた。「将来、デザイナーになりたいんです」と、中学生は言った。

私は自分がなぜデザイナーになれたのか、何をしてきて、今こんなことをしているのかを話した。丁寧に優しく、驕りなく素直に話した。少し母親を置いてけぼりにしちゃっていたと思う。

中学生が初めて訪れたその夜、デザイナーたちは自然と彼を取り囲み、彼の夢や目標に耳を傾けた。彼らは自分たちのキャリアや苦労話、そして成功談を惜しみなくシェアした。中学生の彼は目を輝かせながら、それらの話を一心に聞いていた。そんな彼を見て、かつての自分たちを思い出し、彼の夢を全力で応援したいと感じた。

「このバー、すごく楽しかったです。また来てもいいですか?」帰り際にそう言った中学生の言葉は、今でも鮮明に覚えている。自分が作ったこの場所が、誰かの夢に少しでも影響を与えたなら、それだけでこのバーを開いた意味があったと思った。

ー バーが果たした役割

これからデザイナーになりたいという人がバーに足を運び、プロのデザイナーたちとの交流がバーのメインフィールドになっていた。ただの憧れの場所ではなく、夢を現実に変えるための道標となっていた。プロたちの話を聞き、自分の将来を真剣に考えることで、確実に成長していったんじゃないかと今でも思うし、そう願っている。

お酒があるから、仕事じゃないから、休日の夜にデザイナーが集まる非日常的な空間だから、デザイナーたちが本音で語り合い、互いに刺激を与え合う場所であり、若い才能を育む場でもあった。デザインの道を歩み始めるきっかけとなったのも、このバーでの経験があったからこそだと思う。私たちが提供したのは、ただのネットワーキングの場ではなく、深い絆が生まれる場所だった。

今はもう、そのバーは存在しない。でも、そこで得たつながりや経験は、私たちの心に深く刻まれている。

今でもまたバーをやってほしいと言ってくれる人がいる。単純に嬉しい。何かを誰かに残すことができたんだと。

クリエイティブな場が持つ力、そしてそれが人々に与える影響の大きさを、私は改めて実感した。いつか、もう一度、同じような場を作りたいと思う。若者たちの夢を支え、彼らの成長を見守るための場を。そして、この思いを共有できる人たちと一緒に、未来のデザイナーを育てる場所を作りたいと強く感じている。

ー 後日談、成長と再会

数年後、閉店してからしばらく経ったある日、一通のメッセージが届いた。あの中学生からだった。今、プロのデザイナーとして働き始めたと報告してくれた。あれから挫折も勇気も経験したこと、キャリアと向き合う難しさを知ったこと、周りの知り合いにバーに行ったことがあり意気投合したこと。感謝の言葉が綴られていた。

「もう一度あのバーに行きたい」

その言葉には、感謝と共に、あの場所が彼の人生においてどれだけ重要だったかが込められていた。私にとっても、あの時の中学生が夢を現実にしたことは深い感動をもたらし、クリエイティブな場が持つ力を再認識させてくれた瞬間だった。

今日も明日もこれからもデザイン業界が素晴らしくドラマがある世界でいてくれることを切に願う。

@masatosuzuki
クオリティ高くしすぎないでゆるく書いていき〜