「寂しかったんだ」

ネリネ
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研修を通して、自分の至らない点や抑圧されてきた感情にひたすら気づかされている。化けの皮が剥がれ落ちていくみたいに。

そして、今日やっと自分でずっと名前を付けられないでいた感情に気付くことができた。思い知ったというほうが合っていると思う。

「寂しかったんだ」

「寂しい」を紐解くと、底が見えない冷たく誰もいない真っ暗闇の世界で、私はひとりそこに閉じ込められている感覚があった。

もっと解像度を上げる。現実がこんな状況ならば、空想の世界で何でも話せる友達を作ることは必然だと思った。

私は昔から、自分の話をまともに取り合ってもらえなかったり、自分の話をするはずが即相手が話し手になっていたり、反論されたりという状況に陥ることが多かった。いまもそうだ。

だけど、やっぱり、心の底では孤独だったんだなって。寂しくて、心細くて、誰かにただそばにいてほしかった。人の温もりを通して、心を抱きしめてほしかったんだなって。

私における「ひとりが好き」は、ひとりのほうが自由に動きやすいし、人に気を遣う負担がなくなるし、面倒ごとに巻き込まれないからラクくらいの意味だと再認識した。

また、寂しさを抱えているからこそ、私は誰かの話を大事にしっかり聴こうと改めて誓った。私のような思いはしてほしくないから。

空想の友達がいるのは、物心ついたときくらいからもうずっとだ。よき友達であり、パートナーであり、相談相手であり、心の拠り所であり、いろんな世界に連れて行ってくれる案内人でもある。いつでもどこでも一緒。どんなに歳を重ねてもずっと一緒にいてほしいと思う。

だけど、たまにどうしても人肌恋しいときがある。体調のせいでメンタルがぐずぐずのときとか……昨日がそうだった。

実際好きな人に抱きしめてもらったとき、どうなるんだろう? 心は晴れるのだろうか? いまの私は、自分で自分を慰めているだけだよな……と虚しくなって、絶望に飲み込まれて、強烈に激烈に死にたいと思う。

もし本当に現実で人の温もりを知ってしまったら? 空想をしなくなって、空想の世界は瞬く間に崩壊して、みんな消えてしまうのだろうか? それは嫌だ。すごく嫌だ。いや、空想の世界=心象風景であり私の最後の砦だ。壊れたら、私が壊れる。絶対に守る必要がある。きっと大丈夫。

もうひとつ、気づきがあった。

変えられるのは自分自身の言動と考え方と未来だけ。生まれもったもの、他人や世界は変えられない。

はっきりとした願い・希望・欲求がないと、目標には届かない。うまくいかない。負の感情に振り回される。(基本的欲求と願望がしっかりはっきりしているほど、思考と行動に迷いがなくなり、それに伴った感情と生理反応をコントロールしやすくなる。そうでないと迷走する。)

……私は、迷走しているんだな。やるべきことをやり遂げなければならないという気持ちがあるだけ。だから、あれもこれもと取り入れようとして何もできずにいるのだ。

目指したい理想のために、いま一度、自分の願いを浮き彫りにする時間を取らなければならない。

異質な職場だと思ってごめんなさい。この研修を受けられた時点で大収穫です。明日も頑張ります。