(連日すみません、どんどん気持ちが溢れてくるので書かせてください)
希死念慮 自殺願望 suicidal feeling
複数形で使うことが多いらしい。
希死念慮:漠然と、生きているのがつらいから死にたい
自殺願望:自分を苦しめる何かから解放されたくて死のうとする
──私の死にたい気持ちは、自殺願望かもしれない。ずっと生きていること自体が苦痛で仕方がなかった。
「私は無価値」という思い込みが消えない。無価値だからこそ人の役に立ちたい気持ちが強い。でも、何をやらせても下の下で、何の役にも立てなくて苦しい。救えない。どうしようもない。こんな私は、死ぬのが一番の社会貢献だ。
死ぬ道具も持っている。けれど、不器用すぎて失敗するのが分かりきっていて、ますますつらい。早くこの世からいなくなりたいし、いなくならなきゃいけないのに。
かれこれ14年こんなことを思い続けてきた。でも、漠然としているから希死念慮? 医者の前ではどちらも一緒か。
便秘と下痢の痛み+貧血から逃れたくて死にたいのもある。言葉の暴力に晒されてきたのもある。小さい頃からこの激痛をずっと抱えてきたから、自傷なんてしたら傷がさらに増えるからやらなかった。
自傷も、内側の痛みも、どちらも苦しいのは一緒。傷が見えるか、見えないかの違い。自傷のほうが、肌が見える可能性があるぶん、手を差し伸べられやすいか? まあ隠すのに非常に気を遣うだろうことは想像に容易い。
見えないと本当に救いがない。気づかれない。深刻、緊急だと思われない。一見元気なように見えるから、状況を訴えても雑に中途半端に扱われる。理解されない。生き地獄。
私が思い切りのある人間だったら、もうとっくに死ねているんだろうな。思考人間に生まれて本当に悪かったね。
そうして自分で自分を助けることすらできないなんて。悲しいを通り越して、虚しいね。
私の痕跡すべてを消して、早くこの世から消え去りたい。毎日気持ちだけが募っていく。
(じゃあ、なんで記録しているの?)