昨日、転職者の応募書類通過率は30~50%と聞いて、数打ちゃ当たるじゃないけど、エージェントから紹介いただいた求人に応募申し込みしてみた。
障害者雇用はより確率が低くなるだろうから、要求されるスキルレベルや勤務時間にビビらず、最初から積極的に挑戦してみればよかった。
明日はハロワの障害者雇用面接会の申し込みもある。たくさん応募してパンクしそうだけど。もう目を逸らせない、しっかりと向き合う時が来たのかな と思っている。
人の役に立つ=生きる 役に立ちたい気持ちはあるけれど、いろんなことに対する「できなさ」から無価値感が募って治らない。十四年ぶんの希死念慮もそうだけど、一生付き合わなければならないんだろうな。
(私の「死にたい」は薬では消えないと、医師からも言われている。副作用が出やすい体質もあって、薬を飲みづらいのも改善しない理由だ。)
数時間が過ぎて、応募した事実に「本当にそれでいいのか?」と思考があふれてきた。
以下、出てきたことそのままを残す。
もう何も頑張りたくない→頑張らないと生きていけない→頑張り続けなければ生きることを許されない→頑張る気力がなくなっても、頑張らなければいけない
あぁ、だめだ嫌だ無理だ死にたい。私のノリと勢いは楽しいことに使いたいのに。働くために使っては、また拘束・搾取される。
死にたいのに、仕事のために生きなければならないなんておかしい。死にたい気持ちを隠して人のために生きろ、なんて脅しだ。
誰かが悲しむなんて当たり前なんだよ。死ぬんだもん。死んだら声も聞けないし、触れることさえ叶わないんだ。その誰かに含まれる人たちは、取るに足らない私の屍の、その先を生きていってほしいの。私がいなくなった先で、彼らの心に何かが残ったら、それが私が存在した意味や価値なんだ。
私は死んでもいいけれど、周りには死なないでほしい。
この台詞、きみにそっくりそのまま返すよ。
それは嫌だよ。あなたには死んでほしくない。
きみも一緒だよ。
わかってる。何度も同じこと考えたよ。わかっているからこそ、この宙ぶらりんな状態を終わらせたいんだ。
逆にどうなったら生きていてもいい?
どうもしなくても、こんな世界に居たくない。もう生き続けることが苦痛なんだ。
いい作品を作られる方々に出会えて光栄で感謝してて、もっと追い続けていきたい気持ちはあれど、できれば創作に自分の気持ちを全部ぶちまけてから死にたかったけれど、それを上回るくらい自分の生命が煩わしくて仕方がない。
全ての制約から解かれた場合はどう?
強いて言えば自分の文章がお金になればいいけれど、自分自身を輝かせられない星の下に生まれてしまったからには、大人しく潔く散るが定めだよ。
だからいまこうして文章を書いている。言わばここ全体が遺書のようなものだ。こんなことに此処を利用して申し訳ないが。
生と死の間で心身を引き裂かれそうだ。それでもお腹が空いたり、身体が汚れるのを嫌ったりと、生きることに身体が向かうのが解せない。
肉体を棄てて、魂だけ電子の世界に行けたらいいのに。または、人間に全く関わらない生き物に生まれたかった。ひとり自由に街をゆく野良猫でもいい。お空の雲でもいい。
*
今日の変換事故にもびっくりしたので残す。
![](https://r2.sizu.me/users/14699/post-images/wf0ztt4d1210w7h71w4n.jpeg)
希死念慮餅ってなんだ? 食べたら最期、死にたくなる餅か? キビキビー!よりも恐ろしいわ。持ち→餅の誤変換と気づくまで何時間もかかった。
終わり