創作の中にある重さと戦う

ネリネ
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私は、ファンタジーの世界で心の傷と向き合う話を書いている。

物心ついたときから空想が心の拠り所で、高校生の頃からずっと創作に憧れ続けてきて、やっと今年2月に始められたと思ったが、体調もあってすぐに停滞してしまった。

それから10月にやっと続きを書けたと思ったら、なんだかつまらなく感じた。7人のキャラクターたちをうまく管理できないのもあった。人を減らしたら書きやすくなるかなと思って設定を整理してみたけれど、プロットの段階で納得いく結末が書けない。

だから、実際は書いているようで書いていないといったほうが正しい。

正直、苦痛である。そもそも内容が重いし、古傷を開くようで苦しい。でも、向き合わなければ、納得のいく幸せなハッピーエンドに進めないし、進んではいけないと思っている。

書けない理由は、自分自身の傷が癒えていなくて、説得できる答えを出せないからだと思っている。

でも、もう過去の物語にこだわっていないで、未来の楽しいお話を作れば?と思うときもある。

あと、この文章からわかるかもしれないが、私のやることなすことは何でもかんでも重くなってしまう。本当は軽やかで親しみやすくありたいのに、どうしても堅苦しくなってしまう。

これも、重い自分の傷が癒された先で、やっと解放される・軽くあれる、みたいな感覚がある。

「自分が楽しむために作っている作品が、巡り巡って読んだ人の心を癒す、楽しませる、幸せにする。」

これを実現するために、私は頑張らなければならない。友達のキャラクターを創作に出す約束も果たさなければいけない。

それと、現状の気がかり(再就職活動)からずっと気が抜けなくて、全然創作にエネルギーを使えないのも理由だ。

平行して取り組んでいるのだが、適正検査やExcel、面接といった、避けてきたことに挑まなければならないこともつらい。もし面接が終わっても、結果を待ったり、次の対策をしなければならなかったりと、ずっと気を張り詰めていないといけなくて、遊びがなんでも現実逃避に思えてしまう。

けれど、これらはやらなければならないことだ。やらなければ、面接を受けさせてもらえないのだから。

古傷を開くことも、創作も、試験も、きっと私への試練なんだ。こういう重さを乗り越えた先で、憑き物が落ちたように軽やかになれる。そんな気がする。

つまりは、逃げちゃダメだ。戦え。

→ 創作の答え、見つけたかもしれない

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ありがとう、botを作ってくれた方! 太宰さん!(最近、ここから太宰さんの作品を特にいいねしまくっているのだけど、これは読めってことだよな)