年末に続き、面接の準備を頑張ってきます。
日記のほうですが、チョコケーキを作ったこと、1年半振りに3DSを触ったこと、ジェムオブフォーチュンのこと、面接当日の感想など書くことはそれなりにあるので、来週たくさん更新します。英語の勉強のために、英語で日記を書いてみなきゃとも思っています。
あと、昨日をもって各種SNSから退会しました。人疲れは感じなくなったような気がしますが、ぼんやりとした感覚は変わりませんね。謎です。
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面接ですが、当日1週間前なのに、昨年の面接前に何度も感じていた「死がよぎるほどの緊迫感と焦燥感」が全くなくて、逆に困っています。
完全に気が抜けている。頭が仕事モードに全然切り替わらない……
自分の能力が企業が求めているレベルに全然達していないかもしれなくて、半分怖気付いている・もう半分は受からないほうがいいと思っている。受かる気があるのかないのか、どっちなんだ……
頑張って面接で話すことを考えても、自分の能力に希望がなければ意味ないよね。
実務なら見て覚えるよりも、実際にやってみるほうが覚えられていた気がした。学問は書いて覚えていたけれど、不登校になってから何も定着していない。詰みだ。
昔から勉強とは相性が悪かった。自分に合っていて、かつ、ちゃんと知識が培われる勉強法ってあるのかな。
→ 午後になって、死にたい気持ちが出てきました。大きな重圧として。
「できる」と思われたくない。期待されたくない。自分が一番下だから、私にできることは誰でもできる、周りがこれぐらいできないわけがない。かといって、周りのレベルに追いつこうと頑張る気持ちにもなれない。
私は昔から何もできない、身につかない、好きや興味も続かない。心は真面目でも、実力が伴わなければ無能と一緒。私は間違いなくその部類だ。
なのに責任感だけは強くて、ひとりで何でも抱え込んで自滅する。
できないのに、できると思われたら、それだけで大きなプレッシャーとストレスになる。どんなに些細なことでもすぐ不安に変ずる症状とも相性が悪い。まさにいま。
何も起きない、平穏な日々の中にいたい。
けれど、働いていないことへの罪悪感からも逃れたい。働けない=自分は生きていてはいけない存在だと強く思う。先日、医師から「いまは闘病中」と言われたけれど、誰と接するときも負い目があるし、家にいる時も安らげない。本当の意味での休み方がわからないまま、今日まで過ごしてきてしまった。
自分自身に価値を創造できない。何もない自分には生きる価値がない。この世で生きることを許されない。
こういうときにいつも出てくる、胸の真ん中をじわじわと掴まれるような不快感にも慣れたけど、いい加減もう感じたくないよ。
なんでこんな人間がのうのうと生きているんだろう? 生きたい人に寿命をあげたいよ。
次もダメだったら、もう終わりにしよう。