疾風怒濤の春のはなし

篠原あいり
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■3月

 いま東京の会社に京都からリモートで勤めてるんだけど、3月28日(木)にいまの会社へ誘ってくれた友人が退職することになって、直接お礼とかお別れとか言いたい!!となり、上司に掛け合ってワークショップとかするなら交通費出しますよ、と言ってもらったので、日帰りでワークショップと送別会のために東京へ行った。友人はマジでいいやつで、例えばわたしのやったことを指摘して「もっとこうした方がいいよ」と言った数時間後に、「ごめん、もっと良い言い方あったよね」と訂正してくれるような、まっすぐで飾りっ気のないところが好きなんだけど、送別会の終わりに、わたしがたまらなくなって「別れる前にハグしようよ!」と言って抱きしめあったあと、「私はあいりちゃんだから会社に誘おうって思えたし、謝ろうって思えたんだよ」と言ってくれて、泣かないと決めていたのにぼろぼろ泣いてしまった。マジでいいやつ。あなたの未来をずっと応援しているし、わたしも頑張る。終電で京都へ帰っている間、お前なんか社会で通用しないと言われたり、部屋から一歩も出られないような人生だったのに、いまはこうやって東京にふらっと行くことや終電で帰ることを選べる人生を送れてよかったと思って、嬉しくて嬉しくてずっと泣いてしまった。(ちなみにお前なんか社会で通用しないとわたしに言った人はその数カ月後に逮捕されたらしい)

 終電で帰ったのに金曜日にちゃんと自宅で仕事をしてえらかった。土曜日は泥のように寝て、31日(日)はy gionというビルで蚤の市のようなイベントに参加。そこで初めて紙の本*を売ったんだけど、わざわざ東京から来てくれた人、ロゴをデザインしてくれたひげちゃんのTシャツを着てくれた人、中学生の時からわたしのブログを読んでくれている人、10年ぶりに会う人、いろんな人が本を買ってくれて、なんだか夢のような時間だった。

*短歌をまとめたいわゆる歌集。わたしは紙の本にマジで興味がなくて、インターネットで読めたらそれでええやろと思ってたんだけど、いざ紙に刷ると言ったら沢山の人が喜んでくれたし、紙に刷られた自分の歌を読むと印象がぜんぜん違うので、もっと早くやればよかったと思った。

 東京へ行ったこともあってすごく疲れたけど、やってよかったし、文章に携わり続けてよかったと思えた。わたしが書いてきたものや創り出したものを待っていてくれる人がこんなにいるんだ、と実感できて、あーなんか、回り道めっちゃしたけど、やっぱいい人生だな、としみじみした。今日ここで死ぬのもいいけど、もう少し生きて、もうちょっと文章書いてみよう、短歌も詠もうと思った。

(本はここから買えます。)

■4月

 1日(月)。イベント後に深夜1時まで飲んでしまい、すごく疲れてボロボロのわたしに対し、ぴっかぴかの新卒が入社してきた。研修やOJTはわたしがメインでやることになっているので、がんばって名前と顔を覚えたいけど、こういう時リモートだと難しいねと思う。でもリモートだから働き続けられているとすごく感じているので、そこはなんとかカバーしたいところ。ぼちぼち働いていた火曜日、大好きなアンジュルムの大好きなメンバー、ケロちゃんこと川名凜ちゃんがモデルになった漫画『気になるあの子はカエル好き』がボイスコミック化して、しかもケロちゃんがモデルのキャラクターの声を、ケロちゃんが演じることになったと知って、仕事終わりに全部観た。

 ケロちゃんのお芝居は普段のケロちゃんらしくすごくゆるくてかわいいけど、この動画からケロちゃんを知った人はライブパフォーマンス中のケロちゃんを観たら度肝を抜かれると思う。

 『マナーモード』の時のケロちゃん大大大好き!!!!!!!!!!「カエルってかわいいよね〜〜」とほのぼのしている子がこんな表情するのヤバすぎる。好きにならずにいられない。わたしは気がついたら春ツアーのチケットを買っていた。忙しいからどうしようかな、と思っていたけど、いまのアンジュルムを観ておかないと後悔すると思ったし、わたしも度肝抜かれたい!となったから仕方ない。

 6日(土)。好きな作家さんのワークショップに参加。その方の初めてのグッズである缶バッジを着けて行ったら「もしかして以前DMくださった方ですか?」と言われてびっくりする。缶バッジには「愛の里」と書いてあって、わたしの本名の字そのままだったのであまりに嬉しくて、購入した後にお礼とこれからも応援しています、というようなDMをTwitterで送ったのが数年前。そのことを覚えていてくださったことにめちゃくちゃびっくりしつつも、すごくありがたかった。応援していてよかった、と思えた。ワークショップでは「如意」とデザインされたネオンサイン風の飾りを作った。

 日曜日はひたすら寝て、起きて、寝て、起きて、さあそろそろ月曜日になるぞ、という頃に、父方の祖父が亡くなったと連絡が入った。入院していたとはいえ、リハビリ病棟に移って、そろそろ出られる。そう思っていた。母の運転する車で、祖父の入院していた病院に行くことになった。寝巻きから着替える時、わたしは病院に行っても驚かれるような黒い服ばかり持っているなあと思った。白地に水色のストライプシャツに黒いキャミソールワンピースを合わせて、喪服ではないですよ、というなけなしのアピールをした。母は無音には耐えられないがポップスを聴く気にはなれないと言い、クラシック音楽をランダムにかけていたのだが、道中ヴェルディの「怒りの日」が流れる瞬間があって笑いをこらえるのに必死だった。祖父の眠る病院へ向かう無言の車内でかかる、「怒りの日」。コントか?と思っていたら、祖父と同居していたおばから電話があった。

「もう病院から家向かう準備してるねん。そやし病院には来んと、家向かってくれる?え?もうそっち出たん?もう着く?家……2時目処かなあ……セレマの順番待ちらしいねん。うん。うん。そう。ほなまた連絡するね。うん。ありがとう。ほなね」

 この時点で夜中の1時頃。とりあえずコンビニで温かい飲み物を買って、適当にドライブすることにした。実家の近くには存在も知らなかった公園があって、そこの桜が満開だったのが深夜の車の窓からもよく見えたので、公園の近くのパーキングに車を置いて、夜桜を見物することにした。予期せず、貸し切り状態で夜桜を見られることになって、束の間の癒やしになった。そうか、おじいちゃんは桜の咲くええ時期に死んだんやなあと思った。その日は暖かくもなく、寒くもなく、どちらかと言うと少しぬるい気温で、春だなあと嫌でも実感した。桜を見終わった頃、おばから、家に向かっていると連絡がきた。わたしたちが着くのとほぼ同時に、おばと、その妹(おば2)と、祖父と、死化粧をしてくれるセレマの方が家に入っていくのが見えた。急やなあ、とおば2と話す。

「うん。ほやけどほんまに綺麗やなあおじいちゃん。今にも起きそうな肌艶やわ」

 わたしがそう言うと、おば2は「シミひとつないやろ?使てはったからなあ、ケシミン」と言った。そうかあ。ケシミンってすごいんやなあ、と思っていると、セレマの方が「宗派はどちらですか?」と尋ねてきたので、臨済宗です、と答える。するとセレマの方はあっという間に祖父の周りを飾り立てて、線香なんかを次々に置いていく。日本の主流な宗派の送り方をこの人は熟知してはるんやなあと思うと、なんだか感動した。わたしも知りたい。ただボーッとすることしかできないくらいなら、臨済宗はこう、浄土宗はこう、という感じで把握だけでもしておきたい。ボーッとしている間にセレマの方はさっさと仕事を済ませて、さっさと帰って行く。こんな深夜なのにさっさと動けて、すごい。午前中、11時までにセレマの方が葬儀の日取りなどを決めに家に来るらしいとなり、わたしの母と妹、おばふたりは8時に集まることになった。午前中の間に遺品整理や部屋の片付けをするとのことだった。わたしは仕事の引き継ぎをしなければならないので、通夜と告別式にだけ参列することになった。ボーッと、仕事をすることしかできない孫のことを、祖父はどう思うだろうか。帰りの車内ではベートーヴェンの「歓喜の歌」が流れた。コントか?家に着いたのは朝5時頃。いろいろヤケになって、カルボナーラブルダック炒め麺を飲むように食べてから寝て、10時前に起きて仕事をした。昼頃、おば2の娘、つまりわたしのいとこが、祖父のiPhoneのパスワードが分からないと言って遺体に向かってFaceIDを試したと聞いて手を叩いて笑った。ちなみにこのいとこは、10年前に祖母が亡くなった際、おば2が別れた夫にそのことを伝えるのがしんどいから代わりにメールしといて、と頼まれた際に、おば2のアドレスから

「おばぁちゃんが死んじゃったょ〜!かなC。。。」

 というような文章を、絵文字モリモリで送り、元妻がおかしくなったのではないかと元夫からおば2へ鬼電がかかり余計に面倒くさいことになったというものすごいエピソードを持つ。

 その後、通夜は9日(火)、告別式は10日(水)に決まったと連絡が入る。そういえばわたし、喪服は持ってるけど靴とカバンがないかも、とそこで気づく。慌てて猛烈に仕事をして16時頃に退勤し、イオンモールで靴とカバンを買う。汗だくで帰宅。諸々の用事を済ませて日付が変わる前に布団に入るも、うまく眠れず、apple musicを開く。この日、米津玄師の新曲「さよーならまたいつか!」が配信されたことを知る。さよなら100年先でまた会いましょう。そうやなあ、と思う。眠る。

 火曜日。この日は15時に退勤して通夜に行くことと、水曜日は一日休んで告別式に行くことを職場に伝える。葬儀場に着くと、祖父の遺影の周りに花がいっぱい飾ってあったので、ああ、やはり春だなあと思う。祖父の遺影はおば2が20年以上前に挙げた結婚式の時の写真しかどうしてもいいのがなくて、めちゃくちゃ小さくて画質の荒い祖父を拡大したものだから、『スター・ウォーズ』で、青いホログラムとして投影されたオビ=ワン・ケノービみたいに青白い横線が入りまくっていたので親族一同 大爆笑した。葬儀場の右には子一同、左には孫一同、と書かれた弾幕が張られていて、「不安なこともまだまだあるけれど……あなたの思い出を胸に生きていきます……」みたいなポエムが添えられていたので、こんなん思ったことないねんけど、と更に爆笑した。通夜では臨済宗のお経が唱えられ、「マラマラ ムキムキ」みたいなくだりがあり、笑いをこらえきれずぶるぶる肩を震わせた。通夜の後、親族みんなで寿司桶を囲む。いとこが開けたビールの王冠が寿司ネタにビターン!!!と着地したのでまた一笑い起こる。そろそろ帰るか、という頃にいとこが「誰か今日ここ泊まる?」と聞いてきたので、「昔は泊まって線香の番とかしなあかんかったけど、いまはセレマの人が見ててくれはるからみんな今日は帰るで」と説明すると「えっ!?じゃあ、おじいちゃん置きっぱ?」と言った。やっぱこいつはすげえ奴だぜ。家に帰り、温奴で一杯やってから寝るかあ、と、豆腐をレンジに入れてスイッチを入れる。取り出すと、ひんやりしたままなので、あれ?と思い、もう一度やってみるが、やはりひんやりしている。ブーンという音もいつもより爆音で鳴っていた。爆音の中、光を浴びてターンする豆腐。わたしもかくありたいものだ、と思いながら、冷奴を食べて、ビールを飲んで寝た。

 水曜日。告別式。火曜日とは打って変わって、ものすごくいい天気で、ものすごく温かい。祖父のことは好きではなくて、どちらかと言うと苦手だったのに、ええ時期に亡くなったねえ、としんみりしてしまった。告別式の終わりに、棺に入った祖父の周りに花を沢山敷き詰める時、みんな泣いていて、でも笑っていて、わたしも釣られて泣いて、笑ってしまった。棺の中は春の花でいっぱいで、火葬場に行く道中も、火曜日の雨に耐えた桜がたくさんたくさんたくさん咲いていて、菜の花も綺麗で、ああ、ほんまにええ時期に亡くなったねえ、もうしんどくないねえ、と思って、車の中で泣いた。喪主の父が挨拶の時に「本人がおらへんのに昨日も今日も、あの人のことでこんなに笑いが起きるなんて、すごい人やと思います。そして、幸せ者やと思います」と言っていたが、ほんまにそうやなと思う。けれども、父は葬儀がすべて済んだあと、気の毒なくらい落ち込んでいたし、わたしがこの文章を書いているいまも落ち込み続けているので少し心配だ。わたしはいまでこそ生き続けなければ、と思っているけど、それでもやっぱり死にたい時というのはあって、でも、もし父より早く死んだら本当に本当に親不孝だと心から思ったし、死ぬに死ねないな、と強く思った。木曜日と金曜日は仕事仕事仕事。

 13日(土)。ネイルサロンに行って、アンジュルムのコンサートに向けてかわいく仕上げてもらう。一番好きなわかなちゃんと、今回のツアーに行くきっかけになったケロちゃんのメンバーカラーである白色を左手に、緑色を右手に施してもらった。手を見るたびにかわいい。その後、スペインバルでイワシとトマトのパエリアを食べ、カヴァを飲む。春の気候の、温かな昼間から飲むスパークリングワイン、うますぎる。その後カフェでの休憩をはさみ、大好きなイラストレーターさんの似顔絵イベントへ向かう。イラストレーターさんとは好きな漫画・アニメ作品が共通していて、その話で大盛り上がりして楽しかった。描いてもらった似顔絵の周りに桜の花びらの絵が散りばめられて、やっぱ春ってええ季節やなあと思った。

 14日(日)。インデアンカレー(通称・大阪の食べる「祝福」)を食べて気合いを入れた後、アンジュルムのコンサートへ向かう。一曲目から最後の曲まで、とにかくセットリストが最高最高最高で、わかなちゃんもケロちゃんもかみこもりかこもかむちゃんもれらぴもりん様もしおんぬもぺいちゃんも花ちゃんももいもいもマ〜〜〜〜〜〜〜〜ジで最強最強最強だった。ずっと号泣してたらわかなちゃんがMCで「あの曲の時に女の人たちが顔を覆ってて。みんな、見てましたよ!」みたいなことを言ったのでまた泣いた。アンジュルムって最高最強〜。正直祖父のあれこれの処理で来られないかと思ってたけど、来られてよかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜。感謝〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。翌日の月曜日は新入社員に研修を行う日。いまの会社に入ってから、声と話し方を褒められる機会がぐっと増えてめちゃくちゃ嬉しい。新入社員にも「研修分かりやすかったです!」とフィードバックをもらえて本当に本当に嬉しかった。前日にアンジュルムを観てなかったら無理だったかもしれない。ありがとうアンジュルム。

 友人が辞めても、イベントで本を売っても、祖父が死んでも、生でアンジュルムを観ても、こんな感じで日常は続いていくんだなあといま初めてここで日記を書いて、思った。わたしたちはこれからも生活をやっていくしかない。腹立たしいことが沢山ある。あまりに悲しすぎることが沢山ある。理不尽なことが沢山ある。死や別れがある。出会いがある。わたしはNHKの朝ドラ『虎に翼』を、毎日、泣きながら観ている。朝ドラの主題歌の「さよーなら、またいつか!」で、米津玄師は歌う。「さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで」。ほんまやなあ、と思う。わたしは、幸せとは何の心配もなく、あたたかくやわらかな布団の中で眠れることだと確信している。わたしに関わるすべての人たち、そうでない人たち、みんなそうあってほしいと本気で思っている。友人にだって、イベントで本を買ってくれた人たちにだって、好きな作家さんやイラストレーターさんにだって、アンジュルムにだって、祖父にだって、これを読んでくれているあなたにだって。本気でそう思っている。だから、生活をしていきましょう。生きていきましょう。

@matsugemoyasu
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu