2023年9月17日(日) 三軒茶屋は三茶PLAYsにて、10年前に書かれた戯曲『夜明けに、月の手触りを』を5人の俳優の方々がそれぞれの解釈を持ち寄り、リーディングセッションとして上演する催しがあると知り、居ても立っても居られなくなった。東京で暮らす20代後半の女性たちを描いたその戯曲を、今のわたし、という状態でどうしても見ておきたかった。わたしは京都に住んでいるが、この戯曲を目的に東京へ繰り出してもいい、と思えるくらい、何だか気になって仕方がなかったのだ。10年前に描かれた、女性を取り巻く様々な問題。フェミニズムのこと、性別の役割のこと、ジェンダーにまつわる言葉のこと、結婚のこと、出産のこと、母と子のこと。女性の体で生まれて、認識している性別が女性のわたしが、今この戯曲を観て何を感じるのか、自分で知りたくなった。
10年前の戯曲、ということを念頭に置きながら、会場で配布された台本をめくる。俳優の皆さんの芝居を聴きながら、観ながら、台本に書かれた文字、言葉、セリフを目で追う。登場人物は転職を繰り返すさや、アイドル好きな保育士ゆうこ、広告代理店勤務のしずか、大学院生のあさこ、女芸人のまきの5人。芝居が進むにつれて、わたしは不思議な感覚に包まれた。わたしはさやだったことがある。わたしはゆうこだったことがある。わたしはしずかだったことがある。わたしはあさこだったことがある。わたしはまきだったことがある。そう思えて仕方なかった。彼女たちを取り巻く環境、彼女たちを蝕む問題は、すべてわたしの身に起きたこととそっくりだった。付き合っていた男に浮気をされたこと、付き合っていると思っていた恋人に婚約者がいたこと、妊娠・出産・子育てについて悩むこと、女性性を押し付けられること、女性であることを疑われバカにされること、母親との関係性について考えること、妹という存在があること、わたしが女性という体で生まれてきたということ、認識している性別が女性であるということ。10年前に傷ついたことや、今年に入って傷ついたこと。そのすべてとリンクして、心臓がバクバク鳴って恐ろしくなった。台本が手元にあることで、その先の展開を少し先読みできたので、その不安を薄めることができたのは嬉しかった。指で紙をめくることで、文字を目で追うことで心が少し落ち着いた。恐ろしくなった、と書いたが、それと同時に、わたしの身に起きたこと、女性たちの身に起きていることを知っている人がこの世にいることの、心強さを感じた。本当にわたしのことなんじゃないか、と思うくらい、すべてのことをわたしは知っているし、身に覚えがあった。この戯曲はわたしにとって優しい神様が書いてくれたんじゃないか、とさえ思えた。泣きながら、リーディングセッションを観た。
セッションの後は、出演者や脚本の藤原さんたち、そして観客で行うクロストークの時間が設けられていた。
クロストークと聞いて、少しだけ嫌な予感がした。過去、『親密さ』や『片袖の魚』の上映後に行われた質疑応答で暴力的とも言える、しかし質問とは言えない投げかけをした人がいて、すごく憤るということが連続してあったからだ。
この手のものは苦手だ、と思い、一番うしろの方の席に座って、俳優さんたちや他の観客の話を聴いた。
10年前に描かれたテーマについて、何か変わったことはあるか、変わっていないことはあるか、劇中で描かれたような差別的な発言(それが無意識なものであるかは問わない)に実際に遭遇した時にどうしたいか、といったことがメインに、対話が進められていった。対話だった。一方的な投げかけ、そして自分が望む答えを求める暴力のような投げかけは一切なく、みんなが傾聴し、受け止め、自分なりの意見を出しつつ、もっと理解をアップデートし、正しい声を上げていきたい、という話が展開されていって、胸がいっぱいになった。俳優さんたちの芝居を好き勝手にジャッジメントする人もいなかったし、性別や役割を決めつけてかかる人もいなかったし、自分の知識をひけらかす人もいなかった。あの場にいたみんなが、それぞれの声を聴いて、自分の考えを大切にしていた。わたしはなんだかドキドキして仕方なくなって、一番うしろの席から手を挙げて、すみません、と言った。こういう場で意見を述べたことは今まで多分、なかったことだと思う。でも、言わなければ、と思ったのだ。
わたしは、10年前にあさこと同じような経験をしたことがあって、それ以外の登場人物が受けたようなこともたくさんあった、という切り出し方をした瞬間、目と喉に熱い石が押し付けられたように苦しくなって、これはつらい時に泣いてしまう直前と似た感じだ、と気づいた。深呼吸をしながら、わたしは続ける。
「10年前とか、10年経ったとか言うけど、10年経ってもその傷が癒えることってなくて、それでも、理解することを続けたいとか、よくないよ、と声をあげたい、という意見をここで聴いて、人生は少しでも生きるに値するんだな、という気持ちになりました。今日、観てよかったです」
みんながわたしの方を振り返って、静かにわたしの話すことを聴いてくれて、何人かは拍手までしてくれた。泣きそうだったけど、言ってよかった、と思った。
クロストーク終了後、わたしの元にまっすぐに駆け寄ってくださった方(お名前を伺うのをすっかり忘れてしまった)がいた。その方はわたしの目を見て、こう言った。
「生きていきましょうね」
わたしはその言葉を聴いた瞬間、堰を切ったように泣き出してしまった。今まで、生きてくださいとかは言われたことがあるけど「生きていきましょうね」という言葉をもらったのは生まれて初めてだった。涙が止まらなくて仕方がなくて、傷は癒えないと言ったけれど、絆創膏を優しく差し出してくれる人はいるのだ、と思って、安心した。
脚本の藤原さんにも、「お話ししてくださってありがとうございます」と声をかけていただいた。
わたしは藤原さんに、「わたしのことかな、と思えるような作品で、わたしにとって都合のいい、優しい神様が書いてくれたのかとさえ思った」と伝えたあと、でも、そうではなくて、血の通う人間が地に足をつけて書いたというところに意味や価値があると思うということ、わたしも文章に携わる人間として、これからも頑張って生き続けて書き続けたいということを話した。藤原さんはわたしの目をじっと見て、頷き、わたしに握手の手を差し伸べてくれた。
少しわたしの話をする。わたしのことを長年知ってくれている方は、またか、と思って読み飛ばしてもらってかまわない。
わたしは15歳の頃、自殺を図ろうとした直前に読んだwebサイトのコラムに、「自殺するやつは馬鹿だと思うよ」と書いてあったのを見て、自殺するのを止めた。それからずっと、死のうとした自分を救うために、インターネットで文章を書き続けた。ある日、わたしの元にメールが届いた。
「看護師になるために勉強をしていたけど、落ち込むことが多く、自殺しようと思っていました。でも、あなたのブログを読んで、死ぬのを止めました。わたしはあなたのような文章は書けないけど、看護師になって、あなたにもらった命のバトンを誰かの命を救うことで繋いでいきたいです」
ああ、救われた、と思った。看護師を志望している方だけでなくて、死にたかったわたし自身が救われた瞬間だった。そのメールをくれた方は、看護師になったと聞いた。
それから15年後、「自殺するやつは馬鹿だと思うよ」というコラムを書いた方と直接話しができる機会があり、そのことを伝えた。その方は、「それって、文章を書く人にとっては"あがり"の出来事だと思う。でも、書き続けなきゃいけないんだよ」と言った。
そして、昨日。書き続けてきた藤原さんの戯曲で、わたしはまた救われた。書き続けなければ、と改めて思った。
わたしは藤原さんに「許すことはできても、忘れることはできない。でも忘れられないからこそ、書き続けられるものがある」という話をした。過去、忘れることこそが許しだとわたしのことを大切にしてくれない人たちが言っていたのを思い出す。でも、そうではないとわたしは戯曲の手触りを、血の通った人間の手の感触、温かさを知って、確信した。傷は癒えなくてもいい。過去を忘れられなくてもいい。でも、書き続けなければいけない。他の誰でもない、わたし自身のために。
傷口を時々触ってみる君の指に生えてる爪が小さい
壁に刺す画鋲を抜くと穴が開くような恋愛しかしてないね
ささくれを剥いたとこから血がにじむことは当然だと知ってくれ
不自然な体を愛せ男でも女でもよいそれ以外でも
よそ行きの声で笑ったことのある君とわたしの物語です