家の近くでスズメがぺちゃんこになって死んでいた。轢死したのか、既に死んでいたスズメを誰かが踏んだのか分からないが、とにかくスズメはぺちゃんこになって死んでいた。エビやイカをプレスしてそのまま煎餅にしたお菓子をたまに見かけるが、あれのスズメバージョンがあったらこんな感じだろうというくらい見事に平らになって死んでいた。 最初にそのぺちゃんこを見た時には、やたらと毛羽立った枯葉が落ちていると思ったが、針金のように曲がった脚やカサカサになった嘴を見て、「あっ違う、スズメが死んでいるんだ」と一瞬だけ驚いた。「あっ違う」と頭の中で言い終わる頃にはもう驚きはなく、「そうか、これはスズメか」という認識しか残らなかった。スズメは確かに死んでいたが、カートゥーンアニメでキャラクターがぺちゃんこにされても死なずに、フワフワと風に舞う定番のギャグシーンのように、スズメはただぺちゃんこにされただけでまた動き出すんじゃないかと思うと、悲しくも辛くもなんとも無かった。実際にはスズメがもう動かないことを知っているし理解しているが、このぺちゃんこのスズメが動いているところは見たことがないので、私にとってはただ家の近くでスズメがぺちゃんこになっていただけだし、それが死んでいただけのことだ。これが見知りのスズメのぴよちゃんだったり、見知らぬスズメであっても内臓をぶちまけて死んでいたりすれば悲しくなったり辛くなったりするのだろうが、今回のスズメはあまりにもぺちゃんこなので、少しだけ滑稽に見えてしまう。 中学生の頃に、前を向いて歩いていたら何かを蹴飛ばしてしまったことがある。靴先にコツンと硬い感触があって初めて何かを蹴ってしまったことに気がつき、飛んでいったものを確認しようと顔を近づけた。小さな鞠か何かかと思ったが、鞠ではなくてスズメの生首だったので、私は「アッ」と声をあげた。その数日前に、カラスが毛の生えた生き物を咥えてどこかへ飛んで行くのを見た。毛の生えた生き物は血をダラダラと流してカラスに咥えられていた。ちょうどスズメくらいの大きさの、毛の生えた生き物を咥えたカラスは生首が落ちていた辺りの上空を飛んでいた。あの時のスズメだ。私はそのスズメの生首を蹴飛ばしてしまった。靴先、その中にある靴下に包まれた爪先に血が集まってジンジンとする。生首はちょうど草むらの方へ飛んだ。ここで土に還って欲しいと思いながら、手を合わせて走って帰った。 ぺちゃんこのスズメも、生首のスズメもどちらもスズメの死体には変わりないのに、生首の方に明らかな恐怖を感じた。生首は眠っているスズメをそのまま綺麗に切断したような、真ん丸の美しい置物にしか見えなかったので悲しかった。生首は、どこからどう見ても死体だった。体はないので正確には死体ではないのかもしれないが、それは立派な死だった。最初は渋い茶色の美しい鞠だと思っていたものが、目をぎゅっとつむったスズメの首だったのだ。あれは全き死だった。もう鞠には見えなかった。ぺちゃんこのスズメは、枯葉だと勘違いし、スズメだと認識したあとも、なお枯葉に見える。 ぺちゃんこのスズメをしばらく、1分ほどボーッと見続け、自分が遅刻しそうなことを思い出して慌てた。あの日スズメの生首を蹴り飛ばした右足の靴底をアスファルトにザリザリとこすりつけて、砂埃を撒き散らして駅へ向かった。
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング
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