卒論の中間発表で私が研究してる平安時代に書かれた書物の著者の経歴を軽く紹介しなくちゃいけなくて、彼のことを辞典を引きながらレジュメの作成をしてたんだけど、「xxxx年x月没」って書かなくちゃいけないのがほんとに嫌で、その表記を眺めながら一分ほどボーッとして、なんか喉かわいたからコンビニに行って、久々にグレープフルーツジュースを飲みたくなったから棚を探したけど見当たらなくて、コンビニを出て、別のコンビニに移動したらすんごい混んでて、私は人の多いのが嫌いだからすごい不機嫌になったけどグレープフルーツジュースのパックがちゃんと置いてあったから機嫌すぐなおって、レジに持ってって、お会計してもらって、ストローもらって、コンビニ出てからパックの飲み口ひらいてストローさして一口飲んだらすんごく甘くて、果汁100%のグレープフルーツジュースを甘いって感じたの初めてだったからびっくりしつつ研究室に戻って、もっかい辞典を見てもやっぱり彼はxxxx年のx月に死んでて、私がコンビニハシゴしてグレープフルーツジュース甘いって思うだけじゃ未来とか過去は変わらなくて、何か別の条件が揃えば彼は平安時代から平成の今にいたるまでなんとか生き延びることができたんじゃないかなとか思ったけど全然そんなことなくて、彼は平安のある時代から既に死んだ人で、それは2013年になっても変わらない事実で、たとえ彼ののこした書物に何か新しい発見があったとしてもそれだけは揺るがない事実っていうのがほんとに悲しくて、レジュメに私がポチポチと「xxxx年x月没」って一文字一文字打つごとに彼を何度もこの手で殺してる感覚があってほんとにつらかった、それをなんとか打ってからしばらく涙が止まらなくて、たぶん疲れてたんだと思うけど、でも死んだ人の書物じゃないと卒論のテーマとして扱えないから、彼が死んでてくれたからこそ研究できてるんだなって思うとまたそれもなんかむなしくて、なんなんだよって感じで、グレープフルーツジュースもう一回飲んだらちゃんと苦酸っぱかったからちょっと気持ちが落ち着いた。
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング
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