風も吹かない夏の日だった。朝から書籍の索引を作るため、あらゆる文献を眺めては語句を品詞ごとに分解し、それらを表の形に組み立て、また眺め、分解し、組み立て続けていた。
これらの作業を黙々と続けていると、印字の数々が自己主張を始める。
「わたしは机という字です。ツクエと読みます。私の職業は名詞です」
「わたしは美しいという言葉です。ウツクシイとは、何かを形容する言葉です。この物語では髪を修飾しています」
「わたしは」「わたしは」「わたしは」
うるさい。私自身は眉間に皺を寄せて黙って語句を切り分けているだけなのに何だかとてもうるさい。目で感じるうるささは暑さととても相性が悪く、脳みそが茹だる。奥歯に静かな電流が走る。いらいらすると歯を食いしばって耐える癖がある。ゴリ、と小さく音がしてふと気がついた。そういえばまだ今日は先生から頂いたチョコレート菓子しか食べていない。熱でどろりと溶けたチョコレートはビニールを剥いて食べるのがとても難しく、茶色く汚れた手や口を拭くためのウェットティッシュの方がよほど口当たりが良さそうだと思った。
研究室を後にして、学内の食堂へと向かった。
いつもは人がごった返すので滅多に利用しないが、土曜日で授業がないため、利用するのは職員くらいしかいない。私はうるさいのが苦手だ。楽しいのとうるさいのとを一緒だと思っている人はもっと苦手だ。平日の食堂はいつもそんな人であふれている。そんなところでは何を食べてもモソモソと口の中に留まって美味しくない。この日の食堂は、食器を洗う音や、鍋のスープをかきまわす音くらいしか聞こえなかった。
壁に貼り出されたメニューを見ると、相変わらず文字が話しかけてくる。
「わたしはカツ丼です。豚肉に衣をつけて揚げたあと、卵でとじて、ごはんの上にのせられたものです」
「わたしはナポリタンです。ベーコン、たまねぎ、ピーマンを切って炒めたあと、ゆでたスパゲティと混ぜ合わせ、ケチャップと塩こしょうで味付けしたものです」
せっかく静かな食堂に来られたと思っていたのに、脳内がまたやかましくなった。しかも今度は食材や味までもが主張してくるので、鼻や舌がどっと疲れた。
もういい、適当にうどんか何かで済まそうと思っていると、「今日のランチ・吉野鶏風あんかけ」という文面が目に飛び込んできた。
吉野鶏。聞いた事がない。吉野鶏すら知らないのに、風だなんて。どう対応すればいいのか分からない。分からないので脳内に何も湧かない。鼻も舌も騒がない。お腹だけがすく。うるさくない。素晴らしい。これしかない。私はトレイを手にとって、調理師のお姉さんに「今日のランチください」と言った。
トレイに載せられたのは、たまねぎとお麩とわかめのみそ汁、ごまドレッシングのかかったキャベツの千切り、白いご飯、そして、たぶん、片栗粉をまぶして揚げた鶏肉とゆでたにんじんなどの野菜にあんかけが絡めてあるもの。この四皿だった。
支払いを済ませ、お茶をくみ、適当な席へとついた。食堂の中は風通しがよく、とても爽やかで、大きな窓からは青々とした木々がよく見えた。さぁ食べよう。手を合わせていただきます。
私が高校生のとき、「わぁ、今日はごちそうやなぁ。いただきます」と言ってからうれしそうに給食を食べる先生がいた。とてもニコニコしながらよく噛んで食べる先生だった。食事をする前に手を合わせるたび、私は先生のことを思い出す。食事とはかくあるべきだと思う。いつも先生を尊敬しつつ手を合わせる。
吉野鶏とは、葛粉や片栗粉をまぶしてから茹で、椀に盛りつけ、茹でた野菜を彩りとして添えて、出汁をかけたものだという。
このとき、吉野鶏風あんかけを食べていた頃は知らなかった情報であるが、確かに、さくっと揚げられていると思って食べた鶏肉がぷるんとした食感だったので驚いた。かかっていたものは出汁ではなくてあんかけ。なるほど、なので吉野鶏風。甘酢のあんがさっぱりしていてとても美味しい。多分、出汁で食べるよりも甘酢あんかけの方が私の好みだろうなぁと思いながらみそ汁をすすった。よかった、美味しくて。
今日はさっさと食べて、図書館に寄ったらもう帰ろう。そう考えながらもぐもぐと鶏肉を食べていたら、私の前の席に一人の男性がトレイを置いた。トレイの上には大皿のカツカレーと、水の入ったコップが載っていた。
男性の胸には首から下げた社員証が揺れていた。学内の警備員らしかった。白髪で色黒の男性はどっかりと椅子に座り、手を合わせて小さく「いただきます」と言った。そしてスプーンを手にとり、プラスチックの皿をカッカッと言わせ、冷たそうなスプーンでカレーを掬った。
百点満点だった。しらない人が目の前でカレーを食べているのを見るのは初めての経験だったが、カレーを食べる態度としてその警備員は百点満点だと思った。短めに刈られた白い髪も、日に焼けた肌も、えんじ色の紐でぶら下がる社員証も、食欲をそそらない軽いプラスチックの皿も、口当たりの良くなさそうな銀色のスプーンも、彼がいただきますという挨拶をしたことも、不機嫌そうに食べていることも。そして何よりカレーの上のカツ。すごい。カレーライスの上にトンカツ。美味しいものの暴力。それなのに不機嫌そうに食べている。しかし勢い良く食べている。すごい。何なのだこれは。
私はすっかり感動してしまって、私もカツカレーにすればよかったとさえ思った。得体の知れない吉野鶏なんか食べずに、この警備員のおじさんのように不機嫌そうにカツカレーをかき込んで、今日も暑い日だったなとか思いながら帰ればよかった。そもそも吉野鶏の吉野って何なのだ。その点カツカレーは分かりやすい。カツの乗ったカレーだ。単純明快だ。私もその分かりやすいものを食べればよかった!いや、だがしかし、私が爽やかでぷるぷるな吉野鶏を食べていたからこそ、このおじさんの一挙一動に釘付けになったのだ。きっとそうだ。私もカツカレーを食べていたら、なんだ暑苦しいと嫌がっていたはずだ。ありがとう吉野鶏。ありがとう警備員のおじさん。
警備員のおじさんは食べ終わるのがとても早く、先に食べていた私とほぼ同時に完食した。「ごちそうさま」は私しか言わなかったが。「いただきます」は言うのに、おじさんは「ごちそうさま」は言わないのかと少しがっかりした。もしかしたら美味しくなかったのかもしれない。そう考えながら、鞄を肩にかけ、食器を返却しに席を立った。
私が食器を返却するための棚にトレイを置いたあと、おじさんも食器を置いた。そして、調理師の方たちに笑顔で「ごちそうさま」と言った。
ああ、よかった。おじさんはやっぱり完璧だった。カツカレーを黙って食べたあとに笑顔で挨拶をするおじさん。すごい。食堂でうるさくしている男の子たちに見習ってほしい。おじさんは最早カレーを食べる上でのお手本としか言えない。パーフェクトだった。私も続いて「ごちそうさまでした」と言った。気分が良かった。
食堂の扉を押したとたん、ムッとした空気が覆うように飛び込んできた。しかし私の気分はとても良かった。図書館に行って、必要な資料の他に、好きな小説も借りようと思った。風も吹かない夏の日だった。
本を借りて家に帰ってから、吉野鶏の語源を調べた。葛粉を用いるため、葛粉の名産地である吉野の名を冠したのだという。少しもやっとした。