平野鈴さん主演の『親密さ』が先月、イシヅカユウさん主演の『片袖の魚』が今月大阪で上映されたので足を運んだ。『親密さ』はだんだんと自分の中に染み込むような、馴染んでいくような、後からどんどん自分の大切な宝物になるような作品で、『片袖の魚』は映像がとにかく美しく、イシヅカユウさんの凛とした佇まいが印象的で、観てよかったと思えた。
『親密さ』も『片袖の魚』も上映後にトークショーや舞台挨拶があり、どちらも制作にまつわるいろんな話が聞けてとても充実した時間を過ごせたのだが、観客との質疑応答の時に、自分の中で怒りや悔しさ、悲しさがぽつぽつと底から湧くような出来事があった。自分の中で整理をしたいので書き記しておく。
まず、『親密さ』での観客から、登壇した平野鈴さんへの質問。
『親密さ』にはトランスジェンダーの女性が登場するのだが、あの女性は役柄ではなく、本当にトランスジェンダーの人かどうか、という質問をした人がいた。自分にはそのように見えた、という風に言っていて、わたしはこの時に何を言っているんだと思った。それを平野さんに聞いてどうしたいんだ。うんざりした。胃の底が冷えるような感覚があった。しかし、平野さんはすかさず「それが明らかになると、何かいいことがありますか?」と聞き返した。質問者は「いいえ」としれっと答えた。「なら、それは棚に上げておきましょう」と平野さんは言った。これ以上ない答えだと思った。すごく冷静で、知的で、柔らかい答えだ。わたしが同じ立場ならなんて言っただろう。もしかしたら質問をした人と喧嘩になったかもしれない。何も言えずにただ俯いただけかもしれない。平野さんもそうすることだってできたはずなのに、きちんと対応をした平野さんを尊敬する。
平野さんは後日、stand.fmで配信されているラジオでこの件について話をされた。
https://stand.fm/episodes/617af7bc7e5c390007feec82
ぜひ聴いてほしい。平野さんがゆっくりと時間をかけて言葉を選んで、この件について向き合っている。わたしは平野さんのラジオが好きで全部の回を聴いているのだが、どの回も一貫して言えるのは、平野さんは本当に対話の人だということだ。取りこぼすことのないように、じっくりじっくり時間をかけていろんなことに向き合っている。これは誰にでもできることではなくて、平野さんが地道に、しかし着実に培ってきたものだ。ジェンダーの問題に限らず、わたし・たちに必要なものは対話だと思う。
次に、『片袖の魚』での質疑応答。質問のある方、と呼びかけられて真っ先に手を挙げた人が、大きな声で「不勉強でデリカシーのないことを言っていたら許してください。自分の性を自分で選ぶ快感に強く憧れを抱いています。以上です」と言った。は?と思った。何言うてんねん、と即座にわたしの中の怒りの炎が燃え盛った。たった今『片袖の魚』を観た人の言うことだと思えない。今あなたは何の映画を観たの?自分の性を「選ぶ」「快感」が、あの映画の、主人公のどこにあった?映画の中だけではない、これはこの世の全ての人たちに対する冒涜だと思った。自分の性について悩んでいる人たちだけが「当事者」と思っている人の発言だ。わたしは女性として生まれて自認している性と一致しているが、女性として生きていかなければならない、と選択せざるを得なかった瞬間があった。あの、今でも思い出すだけで恐ろしさに体が震えてしまう感覚を、快感と言われたことが本当に悔しくて、悲しかった。日々悩み、考え続けているわたしや友人、その他大勢の人たちのことを全員ナイフで刺された気持ちになった。質問でもなんでもないただの暴力的な声を聞いた瞬間、わたしがもしもわたしでなくて、筋骨隆々とした男性なら立ち上がってその人に指をさして「ならお前も選べばいい」と言いたい、と思ったのだが、これはこれでわたしの中の差別意識が働いているなと気づいて反省した。この質問をした人とは「対話」はできそうにないけど、果たしてわたし自身はどうだろうか。
この「質問」を受けて東海林監督とイシヅカユウさんは淡々と「選んだわけではないですよ」と言った。「少なくとも私は」と。
『片袖の魚』を観た帰り道、悲しくて悲しくて、泣きながら駅まで歩いた。耐えきれずに、大切な友達に電話をかけて話を聞いてもらった。友達は静かに話を聞いてくれた。友達も『片袖の魚』を観ていたので、あの作品を観てあの感想を抱くのは残念だという話をした。
どんな映画を観てもいいし、それらを受けてどんなことを思ってもいい。でもそれを、相手に直接ぶつけるのはおかしいとわたしは思う。というか「デリカシーのない」と自覚があるならそもそも言ってはいけない。不勉強なせいでその辺の判別ができないのなら、きちんと学んで、全員が当事者だと認識してからにしてほしい。どんなことを思ってもいいと言ったが、あの質問者の言った「あんなこと」は、学んだ後には出てこないはずだから。
『親密さ』も『片袖の魚』も上映をすごく楽しみにして、トークショーや舞台挨拶を聴けるのが嬉しかっただけに、どちらも残念な質疑応答の瞬間があったのが本当に悲しい。それと同時に、丁寧かつ穏やかにあしらった登壇者の方々に感謝の気持ちを伝えたい。人前に立つ仕事だからと言って、あんな暴力をぶつけられるのは絶対におかしい。あの暴力の時間が発生したのはそれぞれの質問者の無知のせいという訳ではなくて、中途半端に触れているせいだと今回改めて思った。知った気になっている、というのが一番危ない。あの質問者たちにとっても、もちろん、わたしにとっても。