録画していた「忌野清志郎トリビュート ナニワサリバンショー2020」を観ながら鮭フレークおにぎりをこさえた。ドライブスルー花見をする前にご飯を冷凍庫に保存するのを忘れて、ずっと保温状態で炊飯器に入っていたお米はパサパサで、そのまま食べるのが難しい状態だったので、鮭フレークの力を借りてそれっぽく仕上げるという算段だ。ご飯(パサパサ)に塩を少しふりかけ、鮭フレークを思っている3倍の量入れて混ぜこみ、ラップを広げて適量ご飯(パサパサ)をのせて、包んで握る。ご飯(パサパサ)は握った途端にくっつきあっておにぎり(まあまあしっとり)になる。ただラップは鮭の脂によって粘着力を失うので、あまり意味がない。でもわたしは極度の熱がりなのと、微妙な潔癖症なので素手でおにぎりを握れない。おにぎり屋さんが素手で握ったおにぎりは食べられるが、どれだけ好きな人でも、実の母でも、大親友でも、そして自分が握ったものでも、おにぎり屋さん以外の素手にぎりは食べられない。これはお寿司でも同じことが言える。
忌野清志郎トリビュートは楽しかったけど、どうしてこのメンバーの中に清志郎がいないのだろうという気持ちの方が強くて、最初から最後までさみしかった。「そういえば清志郎さんって死んだんだっけ」と出演者の誰かが言っていたけど、そうだよ。スーパースターは死んだのだ。どの歌もキーが高くて、みんなしんどそうにしてたけど、それを歌えるスーパースターは死んでしまったのだ。
清志郎が死んだ時のことはよく覚えている。わたしはあまりにショックで、その晩は寝ずにずっと起きてRCサクセションを聴いて、そのまま近所の美容室へ行って「キヨシローカットにしてください」と注文したのだった。我ながらすごく似合っていた。翌日、高校の先生には「えらい男前になって」と皮肉を言われたが、わたしは気に入っていたし、周りにも評判だったし、その美容室には10年経つ今もずっとお世話になっている。
スーパースターも死ぬことがあるんだな、と当時まだ誕生日を迎える前だった18歳のわたしは思った。どんな役者が死ぬより、どんな偉い人が死ぬより、悲しかった。自分の心の綺麗な部分が抉られたような気持ちになった。こんなええ声してても、死ぬ時は死ぬんやな。そう思いながら水を飲んで、「明日なき世界」を聴いた。殺しの出来る年齢だが、選挙権もまだ持たされちゃいない年齢のわたし。自殺未遂をしてから3年経ったわたしは、なんだか置いてけぼりになった気がしたが、キヨシローカットにすることで少しせいせいした。
当時のことを思い出しながら食べた鮭フレークおにぎりはまあまあおいしかったが、白ごまをふれば良かったなとあとから思った。鮭とごまの相性は何故あんなにもいいのだろう。