さっき頭を洗っていたら髪の間から木の枝が出てきた。今日はずっと家で卒論をして、不安定な天気だったから洗濯物もベランダではなくて室内に干した。一回も外出していない。部屋の中に植木の類はないし、この枝はどこからやってきたのだろう?小枝とはいえ、頭からこんなものが出てきたらまぁまぁびっくりする。 過去に、頭をかいたり髪をといたりした時にネジが出てきたことはある。数回ある。その度にびっくりしつつ、「たぶんこれは私のパーツだったもの」と言い聞かせていくうち、はじめは「えっ……ネジ……?」とショックを受けていたものも、4度目には慣れたもので「あ、またネジか〜」程度の反応になる。なので今回の枝は新鮮で、嬉しかった。 私はひょっとしたらロボットなのかもしれない。しかも枝が生えているロボットだ。地球の鼓動と私のエネルギィがリンクしているような感じさえしてくる。ナウシカやラピュタとかに出てきそうではないか。悪くないな、ネジが外れるというのも。 そういえば今日、窓をしめるのをうっかり忘れてしまって、このあいだ日記に書いた猫がまた部屋に侵入してしまった。しかも今回は我が家の押入れから奴が恐る恐る顔を出しているところを目撃した。もう猫との遭遇には慣れてしまって、あまり驚かなくなってきた。それよりも頭から枝が出てくる方がよほどトリッキーだ。猫が押入れから飛び出してくるくらいなんだというのだ。ネジや枝が自分自身から出てきたのだから、猫以上に、もっと真剣に考える必要がある。私はロボットかもしれないとか言っている場合ではない。猫は窓をしめ続けている限りうちには入ってこられないが、枝やネジは私が引きこもっていても飛び出してくる。私の体から。そのうち体内からミサイルや毒薬なんかが出てくるかもしれない。そうなったらいよいよ私の体はロボットどころでは済まなくなってしまう。その時、私の体の一切は宇宙そのものとなるのだ。たぶん、心も。そうならないために、人間であり続ける限り、私はネジや枝について考えなければならない。 ……とかアホみたいなことを思っていないと、頭からネジや枝、押入れから猫、なんていうビックリ箱生活は乗り切れないのだ。全くもって意味不明だ。何の機械のネジなのだ。何の木の枝なのだ。どこのなんという猫なのだ。おぞましい。いっそロボットになりたい。宇宙でもよい。
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング
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