去年の夏頃から始めていた古文書の翻刻を、今日の夕方に終えてしまった。先生が七年ほど前から続けている古文書の研究に参加する形で、翻刻作業を引き継いだんだけど、終えてみると案外あっさりとしていて拍子抜けした。古文書を読むのは非常に面倒で時間のかかる作業だったから、もっとこう、感慨深いな〜とか自然に考えるものだと思っていたけど、そんなことは全然なかった。 先生が七年かけてゆっくり翻刻しつつ熟読してきた本を、途中から、しかも少ない冊数とはいえ、私のような小娘が一年と少しでワーッと活字に起こしてしまうのは、なんだか無粋なことをしてしまったような気がする。まぁ翻刻しないと読み合わせすら出来ないんだけど、これでいいのだろうかといつも思う。翻刻を終えてもなお思う。 先生が「まつげ君も一緒に勉強会しませんか?」と声をかけてくれたのがきっかけだったし、そのおかげでよい卒論のテーマもできたから、私にとってその古文書と触れ合えるのはこの上ない幸せなんだけど、古文書の最後の行をパソコンで打ち込んでいる間、先生が整えつつある畑を、うんと尖ったハイヒールで駆け回っているような気持ちになった。 先生は「いたいけな女学生を騙して翻刻という面倒な作業を押しつけることに成功した」と言って笑うけど、どうしても「私でいいのかしら」という思いがついてまわる。先生に対してもそうだし、古文書の著者にも、古文書を書写した人にも、古文書を今まで大切に保管してくれていた人にも。 かといって、先生たちに申し訳ないとか考えているわけではなくて、単純に私自身が憂鬱になってしまっているだけだ。先生との研究は楽しいし、著者のこともだんだん好きになっていくし、書写者にも頭が上がらない。 翻刻を終えて、感慨深いな〜と思わないのは、まだ赤入れをしていないからとか、肝心の論文がまだだとかそういう憂鬱さではなくて、ずっとこれを続けたいと思ってるからだ。すごいぞ、いま気がついた。翻刻はほんとに、ほんとに大変だし疲れる作業だから早く終わらせたいと、作業を開始した去年の夏からずっと思ってたのに、今更そんなことを思うなんて、自分の天邪鬼っぷりを痛感する。 けどここで、「ほんとはもう一冊あるからまた翻刻してよ」とか言われたらすごくぐんなりするし、とても嫌がると思う。しかも、嫌がりながらも「しょうがないなぁ」とかなんとか言いながら嬉々としてパソコンに向かう自分が目に見えているので余計に嫌だ。 うーん。私は結局なにがしたいんだろうか。もっと勉強しよう。
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