地震とおかまと焼いたちんちんのはなし - 2016年3月16日の日記 - Tumblrより

篠原あいり
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※2024年のわたしより注記:おかまはマスターが自称していたので採用した単語であり、わたしがマスターをおかまと呼んでいたわけではありません※


「あの日から5年経った」という声が、テレビから毎時間のように聞こえる。去年の「あの日」のわたしは、職場でのストレスに耐え切れず、朝会で倒れたのだったなとか、一体何回「あの日」を繰り返したら「あの日からX年経った」とテレビから聞こえなくなるのだろうかとか、そういうことを考えてしまう。被災し、混乱の街で耐え忍び、踏みしめるように日々を歩いた友人たちはわたしの周りにもたくさんいて、5年経とうが5年と1日経とうが、頭の中には常に、あの時の感覚がこびりついて離れない。テレビに言われなくても、5年経たなくても、わたしは当時も今もずっと、関西に住んでいて、遠く離れた地から、遠く離れているなりに、あの時のことをずっと忘れられずに生きてきた。あの時のことを考えない日がない。

当時のインターネットではたまに遠くに住むわたし・たちのような人間を「当事者でもないくせに」と言う人がいた。今もいるのかもしれないし、友人たちの中にも、もしかしたらわたしのことをそのように思う人がいるかもしれない。でも、あの時のつらい思いや不安な気持ちは紛れもなく本当で、それをどこにしまい込めば良いのか、今も分からないままでいる。「あの人たちより恵まれている状況にいるのだから我慢しないと」と言われたこともある。何を我慢するべきなのかも理解できなかった。わたしも被災者だと言いたいわけでは決してない。でも、恵まれてるって、一体どういうことを言うのか?わたしが関西じゃなくて中部に住んでいても同じことを言われたのか?中国なら?アメリカなら?どこか違う星なら?じゃあこの苦しい感じは偽物で、持っていてはいけないものなのか?いろいろ考えたけど、偽物なんかじゃないし、そんな無責任なこと、言われたくないということしか分からない。わたしに無責任に我慢しろと言ってきた人は、「テレビから5年経ったって聞こえてきて思い出した。もう5年なんだね」とTwitterに書いていて、あーあと思った。ただ「あーあ」と思った。

5年前のあの日、わたしはすっかり滅入ってしまっていた。夜に寝ようとしても夢にいろんな音や景色が流れ込んできて、ちっとも頭が休まらず、どうしようか考えていた時に、ベロベロに酔った親戚のお兄ちゃんから近所のバーに来るように誘われた。親戚は昼から酔っ払っていて、地震があったことを知らないらしく、コートを着てバーへ向かう道すがら、空を見上げてもいつもと何にも変わらなくて、もしかしたらあの地震や津波はわたしの夢で、嘘なんじゃないかとさえ思ったけど、バーの扉を開いて、顔を真っ赤にしてぐだぐだになったお兄ちゃんと、化粧っ気のない美川憲一のようなマスターがこちらを見て「よく来たね」と言ってきた瞬間に涙が溢れて止まらなくなって、なんとなく、ああ嘘じゃないんだなと思った。嘘じゃないんだなと思ったが、マスターがおかまというのは想定していなかったので、それについては「嘘やん……」と思った。当時のわたしは絵に描いたようなおかまは、フィクションの中にしかいないと信じていたのだった。

「地震あったの、知ってる?」とわたしが恐る恐るふたりに聞くと、マスターは「知ってるわよ」とだけ言った。お兄ちゃんはグダグダなので返事がなかった。知ってるんや、とうつむくわたしに、マスターは焼きソーセージを差し出して「はい。焼いたちんちん食べ」と言ってきた。

焼いたちんちん食べ。焼いたちんちん食べ?焼いたちんちん?食べ?

びっくりした。ほんとにびっくりした。Twitterでは「不謹慎です!」という言葉が飛び交っていて、いろんなデマが錯綜していて、何がいけなくて何が正しいのか分からなくなっていたのに、うちの近所のおかまがやっているバーでまさか「焼きちんちん」を食べさせられるなんて、誰が信じてくれるだろう?わたしはその日一番の大声で笑ってしまった。肩の力が抜けるとはこのことか、という感じだった。脱力そのものだった。ちんぽには勝てない女のイラストが流行ってるけど、わたしはちんちんには一生勝てないし、なんだったらちんちんに救われた女だなと思いながら、焼いたちんちんを食べ、マスターと「モンテカルロ~」と言いながら乾杯をした。

マスターは「地震があったのは知ってるわよ。でもだからこそ、私たちはきちんとした日常を送るべきなんじゃないかしら」と言ったあとすぐ「この仕事してるとね、お客の顔を見ただけで、お酒の強い弱いがなんとなく分かるのよ。あいりちゃん、あなたはね、相当イケる口よ」と、水割りを渡した。これがマスターの日常なんだなと思いながら水割りを飲んだら、ものすごく濃い芋焼酎で舌がまろやかに痺れた。

何を我慢するべきで、何がいけなくて、何が正しいことなのか、未だに考えてしまうけど、わたしは焼いたちんちんと焼酎のことを思い出すと、「ひとまず、何も我慢しなくてもいいな」という気持ちになって、なんとなく救われたような感覚になる。少なくとも、わたしは救われたのだ。あれから5年が経った。言われなくても覚えてる。人に言われて思い出すのが悪いとは言わないし、節目節目でしかそのことを考えないのがいけないと思わないけど、わたしは毎日毎日、ずっと覚えている。

@matsugemoyasu
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu