わたしといえば貝嫌い、貝嫌いといえばわたしなわけだが、今日その理由を聞かれたのでこの機に自分の過去を振り返りつつ、貝嫌いのルーツを探ってみることにした。
保育園の年中の時に、自我が芽生えたなと自覚した瞬間が二回ある。そのうちの一つがツイッターとかでも何度か書いた「音楽という概念の理解」だ。
父親は当時ラジカセで音楽を聴くのが趣味で、よくEarth , Wind and FireのFantasyを聴いていたのだが、ある日突然、視点が急に姿を上から眺めたものに切り替わり、脳みそに直接「ここはわたしと家族の家。ここはお父さんの部屋。お父さんはわたしの家族。お父さんの部屋にはわたしとお父さんがいる。お父さんはラジカセを部屋に置いている。ラジカセからは音が鳴っている。ラジカセは音を聞くための機械だ」といったような情報がダーーッと流れ込んできた。背骨が雷に変わったような感覚だった。衝撃だった。情報はどんどんとわたしの中に流れ続け「この音は、音楽というものだ」という情報を最後に視点はいつも通り、顔についた目が映すものに戻った。いろんなことを急に理解してしまった。脳がショートするかと思った。何より、この、お父さんが好んで聞いているよく分からない声や音が音楽というものであるという情報は、他の情報に比べて分厚かったので頭の処理が追いつかず、とても恐ろしくなってしまい、その日はそれ以上なにかを考えるということをすっかりやめてしまった。
その音楽がFantasyという曲であると知ったのは小学生の時で、年中の頃に聴いたあの曲だと気づいた時は、音楽というものを認識した時よりも驚いた。涙が止まらなくなった。わたしの中で「音楽」というとこの曲を指す。Fantasyは今でこそ名曲であると理解できるが、それは単なる娯楽の対象ではなく、今もなお畏怖すべき存在として認識している。私にとっての神様のような存在なのだ。
自我の芽生えのもう一つは、「嫌いなものの存在」の認識だった。
わたしは幼少期、トマトが嫌いだったのだが、それらが嫌いだと気づいたその日までは、何の意識もせずにトマトや貝を食べていた。たぶん、無意識のうちに「不快である」と認識はしていたのだろう、母いわく食べさせるたびに嫌そうな顔はしていたのだそうだが、それでも「これは美味しくなくて嫌いだから食べたくない」といったような拒否は一切したことがなかった。しかし、保育園でトマトのサラダが出された際に、またFantasyの時のような俯瞰の視点への移り変わりがあった。その後すぐに「記憶には残っていないけど、わたしはこのトマトを食べるたびになんだかよくない目に遭っているような気がする。つまりそれは、このトマトという野菜が嫌いだということ」という情報がまた脳に打ち込まれていった。Fantasyの頃よりも自分の中の文章の処理能力が上がっているのを理解した。とても流暢な文章をもとにして、トマトが嫌いであるという自覚を行ない、その瞬間に気持ち悪くなって盛大に口からトマトを吐き出してしまった。
それ以来、着ていたスモッグをベタベタに汚してしまったことや、クラスメイト達の悲鳴などを思い出すと、とてもじゃないがトマトは食べる気にはなれず、それから高校生になるまでトマトを食べられなかった。それほど強烈な「嫌い」の自覚だった。
思えばこの頃に、クラスメイトの顔と名前を認識できるようになった。
「この子がわたしの名前を呼ぶということは、この子とわたしは知り合いなのだろう。しかしわたしはこの子の顔と名前を知ってはいるが、この子と過ごした記憶はない。全くない。しかし、この子の話では昨日も会ったらしい。昨日”も”わたしは泣いていたらしい。そんな記憶はない。しかし事実らしい」ということを、保育園の手洗い場でアユミちゃんという女の子に話しかけられて黙々と考えたりしたのはまさしくこの時期だ。この時期のわたしは毎日を怯えて過ごしていた。自分の記憶にはないが、自分は日々を生きているのだと認識した。恐ろしくて仕方がなかったのだ。
急に「わたし」をインストールさせられたわたしは、処理が追いつかず、自分の頭の中に訪れる自分の情報と頭の中で話すことが増えた。ぼーっとしているように見えたのか、クラスメイトからはうんといじめられた。わたしはトマトと保育園が大嫌いだった。
その手洗い場での件のすぐ後くらいに、トマトと保育園以上に嫌いなものができた。貝である。おばあちゃんの家で出された味噌汁にアサリが入っており、「なんだか貝って不気味だな」というのは、ぼんやりせずともすぐに認識できたのだが、その不気味なアサリを口に含んだ瞬間に、また情報が押し寄せてきた。視点が変わる。わたしのつむじが見える。おばあちゃんの家のコタツが見える。みんなが食事している風景が見える。「情報」はわたしに囁く。
「それ、あんたの嫌いな貝って生き物でな、アサリって名前やねんで。あんた今よりうんとちっちゃい頃から図鑑で見てて知ってるやろ?あんた図鑑めっちゃ好きやんか。でも貝のとこいっつもビビってるやん?それってな、嫌いってことやで。あんたは貝嫌いなんや。見た目だけとちゃう。食感もグニョグニョやし、砂もたまぁに入ってて最悪ちゃう?味もなんか渋い感じするし、あんたはホンマに貝、嫌いなんやわ」
なんとなく馴染みのある関西弁だと認識した時にはもう遅かった。わたしはすっかり恐ろしくなって、味噌汁の入ったお椀をうっかり倒してしまった。すぐにワンワンと泣きわめき、「わたし、貝、きらい」と喉をひきつかせながらなんとか口にした。お母さんやおばあちゃんには、わたしが急に癇癪を起こしたものだと勘違いされたのだが、実際には悪魔の囁きともいえる情報の流入があったのだった。
その後、図鑑をはじめ、貝の情報を自らたくさん仕入れたことにより、わたしの貝嫌いは確固たるものとなってしまい、今ではこの世で最も嫌いな生き物を問われると必ず「貝類」と答えるようになった。これはもうわたしが記憶を喪失しない限り、二度と覆ることはないだろう。