平昌パラリンピックで、視覚障害者の選手がガイドを聴きながらスキーで滑る競技を観たら、わたしよりも視力が高い選手が多くて驚いた。もちろん視野の範囲や光の感度など細かい分類はあるが、障害者スキー連盟の説明によると、わたしは視覚障害クラスのB2に該当することが分かった。普段はメガネやコンタクトで視力を矯正しているので、まさか自分も障害者と呼ばれる立場にいるのだとは思わなかった。
確かにメガネやコンタクトを装着せずに、家から駅まで歩けと言われたらすごく困ってしまうだろう。自分の部屋からキッチンやリビングに行くのもやっとだと思う。それをましてや、雪の中をスキーで滑るだなんて。技術はもちろんそうだが、選手たちはみんな凄まじい精神力を持っているし、何よりガイドの人の冷静さと分析力にはため息が出るほど感心してしまう。
わたしの親族に発達障害の人がいるのだが、その人に幼少期の話や職場での話を聞くと「周りもそんな人ばっかりだったので全く苦痛じゃなかった」と言われた。わたしはそれを聞いて「人は障害を持ってしまった瞬間ではなく、不便さを感じた時点で障害者になる」という言葉を思い出した。大学の先生が講義でおっしゃっていた言葉だ。
その先生は配偶者が聴覚障害を持っていて、普段は手話や筆談で話しているのだが、ある日お子さんをお風呂に入れ、「バスタオル取って!」と声をかけた時に反応がなく、そこでやっと「ああそういえば彼女は耳が聞こえないんだった」と自覚したそうなのだ。しかし先生の配偶者はバスタオルを取ってくれと言われたことにすら気づいておらず、その時点で不便であると感じたのは健常者の先生だけだ。この時に「障害者」と呼ばれる立場にいるのは、もしかしたら配偶者ではなく、タオルを取ってもらえずに困っている自分だったのかもしれない。先生はそう話をしめくくった。わたしは先生のこのおおらかな考え方に何度となく励まされてきた。
パラリンピックの映像を観る。競技において選手たちが日頃感じているであろう不便さは、ゲームとしての面白さを何倍にも引き立てる。選手たちがその不便さを持ってして様々な競技に挑戦する姿を、わたしはきょうもメガネをかけてテレビで観ている。わたしの日々だな、と思う。