卒論の草稿を先生に見せたら、「君の論文は冷たい論文やね」と言われてしまった。
というのも、今回テーマとして取り扱う書物について知識のない人が私の論文を読んでも何のことかサッパリ分からず、怒り出してしまうだろうとのことで、非常に不親切なつくりになっていると注意された。自分がずっとウンウン唸ってた謎について理解できた今、全世界の人がそのことを知っているかのように思ってしまっているということに気がついて、急にその書物にまつわるいろいろが恐ろしくなった。
「でもね篠原くん。分かるってそういうことなんですよ」と先生は言った。
「それまでどれだけ大きな謎だとされていたことが解明されたとしても、変わったのは”分かったぞ、謎が解けたぞ”と言う自分たちの意識だけであって、世界の本質自体は何も変わってない。”分かったぞ!”っていう篠原くんの喜びも常識だし、”だから何なの?”とか言ってくる人も、”それって結局なんなの?”とか聞いてくる人も常識的なんですよ。その”分かったぞ”を普遍的なものにして伝えないと、君の喜びはいつまで経っても君の中だけのものになってしまう。君の論文は筋道が通ってはいるけど、自分が分かっているから書かなくてもいいっていう諦めが見えていますよ」
そういえば、私は2年以上ずっとその書物を読んできた。ずっと読んでいたからすっかり忘れていたけど、世の中の人はこの書物についての知識が全くない状態からこの論文を読むんだよな。2年。長かったな。あの書物を翻刻してた時は論文なんて書けるのかなとか思ってたけど、もう結論も出ちゃったよ。2年か。
とか考えていると、ちょうど先生に「この書物をね、2年も読んでるんですよ、僕と君は。ずっと一緒に読んできたんです。今のこの世界で、君が論文にしようとしていることを知っているのは、僕と君だけなんですよ。それを形にするんやから、もっと大事にしてあげてくださいよ。君の尊い2年間なんですから」と言われて、びっくりして、少しだけ涙がこぼれた。2年か。2年。短かったな。
なんとなく、書き始めてから書き終わるまでが論文の執筆時間だと思っていたし、執筆した時間に限って言えば、厳密にはそれで正しいんだろうけど、実際には1本の論文を書き上げるのに2年以上費やしている訳で、そう考えると急にめちゃくちゃ緊張してきた。有名な大学の先生や研究者が講演会で話をする際のギャラの相場を聞いた時に、「1時間でそんなにもらえるの!恐ろしい世界!」と思わず叫んだけど、長い時間ずっと考えて考えてようやく練られた結論を1時間かけて話すっていうことに対して発生したお金だと考えると、「そんだけしかもらえないの……恐ろしい……」とげんなりした。お金こわいよ。でもそれだけのお金が動くっていうことは、それだけのパワーや時間もめちゃくちゃに動きまくっているっていうことなんだよな。考えていることを伝えるのってめちゃくちゃむつかしくて体力もいるし、私みたいな鈍臭くて察しの悪い奴が誰かに2年以上も煮詰めた情熱やらをぶつけるにはもっとギラギラする必要がある。ギラギラするぞ!