痴漢に遭った時のはなし〜伊藤詩織さんのニュースで思うこと〜 - 2019年12月19日 - Tumblrより

篠原あいり
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伊藤詩織さんのニュースを見て、思わず泣いてしまった。あの金額は目を疑うほど安すぎるけど、世の女性、世の被害者たちにとっては大きな一歩だと感じた。もちろん、わたしにとっても。

むかし痴漢に遭った時、友達だと思ってた男性に打ち明けたら

「痴漢されたのによく人に話せるよね。嘘なんじゃない?」

「痴漢されてよかったね、女性として魅力があるんだよ」

「ていうかほんとに嘘でしょ、痴漢冤罪でっち上げたいんでしょ」

とまくし立てられて、ただただ黙ることしかできず、「わたしが嘘なんかつくように見えますか?」とだけ言って、わたしを「嘘つき呼ばわりしたこと」に対してだけ謝ってもらったが、他にもいろいろあるやろ!と思った。思っただけで、言えなかった。ひどいことを言われたのに黙ることしかできなかった惨めさ、言われっぱなしの悔しさ、友達を見る目がないという情けなさ、いろんなことがないまぜになって、泣くに泣けなかった。

思えば、痴漢に遭った時もわたしは声を上げられなかった。痴漢に遭うたび、変質者に遭うたび「この人達は病気なんだから可哀想なんだ、わたしさえ我慢すればいいんだ」と自分に言い聞かせていたが、ほんとうの友達に「それだと次の被害者が出るよ。こわいだろうけど、食い止めなきゃ」って言われてハッとした。加害者たちによって認識を歪められてたのに気づいたのだ。

「被害者」を経験した人の中にも、考えられないようなことを言ってくる人はいる。

わたしが以前、電車の中で知らない男性に耳を舐められた話を、これまた友達だと思っていた女の子にしたら「よく生きてられるね。私だったら自殺しちゃうわ」と笑われたのだ。わたしが生きていることがまるでダメなことみたいに、その子は言い放ったのだった。死体蹴りだなと思った。死んでないけどね。笑わすな。馬鹿にすんな。

だからいまではわたしはちゃんと声に出して嫌だと言うし、それを咎める人に対しても声を上げていくし、伊藤さんが言ったみたいに、この世のサバイバーたちが口を噤んでしまうような、そんな状況は変えたいと思う。むかし悔しかった分、いま、わたしのためにちゃんとするのだ。

こういうことを言うと「あの人よりマシでしょ」とか言ってくる人がいるだろうし、実際「私だったら自殺しちゃうわ」の子も、わたしが散々ないじめに遭っていた時の担任の先生も、よくわたしと自分を比較しては馬鹿にしてきたものだったが、心の被害に大きいも小さいもないとわたしは断言できる。というか、あなたの心の痛み、わたしの心の痛み、ぜんぶ別物ではないのか?ひとりひとりそれぞれの痛みをなぜ比べるのか?意味がわからない。そういう意味のわからなさと戦うためにもわたしは声を大にして言いたい。馬鹿にすんな。

あと、こういう話をすると「君の見た目が可愛いからだよ」とか、「そんな服装じゃ誘ってるのとおなじだよ」とか言ってくる人がいる。それこそ意味がわからない。そんな意味のわからん理由をぶつけられるほどわたしたちは暇ではない。そんなもの、着ぐるみで欲情する人がいるから着ぐるみ着るな!と言うのと同じくらい頓珍漢だ。アホだと思う。

わたしはわたしで、「お前みたいなブサイク相手にするはずがない」とか、「デブを相手するやつは頭おかしい」とか言われたけど、「誰を襲うか分からないほど頭おかしいのが犯罪者なんじゃないんすか」と言うとだいたいの人が黙る。しかし、それ以上言うことがないのなら初めから黙っていてほしい。わたしは声を上げていくが、他に言うことがないのなら黙っていてほしい。

わたしは下手な慰めや訳の分からない罵倒より、率直に怒りがほしい。

きょう、年上の男性からすごくショックなほど舐めた態度をとられてしまって、それについて同僚に話したら即座に「酷すぎる!それは篠原さん悪くないからね」と言われて、わたしは心底ホッとしたのだ。良くないものに対しては→必ず怒るという図式がこの世には必要なんだと思う。

以前、新宿の街を歩いていた時もそうだ。黒人の集団の横を通り過ぎようとした瞬間、腕を掴まれて引っ張られたのだ。そのことをわたしの前を歩いていた友達に打ち明けたら「戻ってぶん殴ってやろうか!?」と怒ってくれたのが本当に嬉しかったのだ。きちんと悪いことに対しては怒る。それが至極当然の世の中になってほしいし、わたしの愛すべき(ほんとうの)友人らはそれをまさに実行しているのだ。わたしは彼ら彼女らのためにも声をあげていかないといけない。もちろん、わたしのためにも。あなたのためにも。

@matsugemoyasu
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu