推しが引退することになった。
職場の休憩室で昼ごはんを食べたあとボーッとTwitterを見ていたら「引退することにしました」と推しが書いているのを見て、へえ〜引退ね、と思った次の瞬間に心臓がバクバクバクバク鳴った。引退。引退。いんたい。いんたいってなに?いんたい?頭がものすごい速さで回転するのになにひとつ答えが出なかった。
アイドルや俳優にハマることなく成人を迎えたので、推しが引退した時にファンがとるべき仕草というものが分からない。わたしにとって推しができたのも初めてなら推しが引退するのも初めてなので、ただ目から生温かな水がボトボト落ちるのをティッシュで受け止めて「いやや〜」と呻くくらいのことしかできず、わたしの推しを知っている友達ふたりにLINEを送った。推しが引退するんやって。ひとりの子からはすぐに返事があり、話を聞いてもらっているうちに休み時間が終わった。
なんとなくそんな予感はしていたのだ。歌に合わせて踊る彼女が、いつもよりしっとりしたナンバーで「いつもありがとう」という歌詞に寄り添うように静かに笑っているのを見て、もしかしたら推しとファンとしての関係はもうすぐ終わって、彼女はわたしの推しとしての姿をもう見せてくれないのではないかと、なんとなくだが感じていた。今にして思えばそれは予感でもなんでもなくて、ただわたしが気づいただけだった。
推しにその日の演目に対して、少し鎌をかけるように「泣いちゃった」と伝えたら「でも表情はいつものあいりさんです。浄化されましたね!」とかわされてしまったので、あまり深く考えないように感情に蓋をしてしまった。
そのツケがきょう、一気に押し寄せてきた。推しがくれた周年のTシャツは、当然のようにこれからも、毎年毎年、100周年になっても刷られると思い込んでいた。でもそんなはずはなくて、わたしの推しは引退してしまう。歳は知らない。本名も知らない。どこに住んでいるかもよく分からない。ステージを観に行く時にだけ会える、わたしの推し。その推しが推しでなくなってしまう日が、もうまもなく来てしまう。わたしはどうしたらいいんだろう。
LINEを送ってからしばらくして、もうひとりの友達から返事があった。
「それは何回経験してもつらいし、何回思い出してもつらいよ」
わたしは職場でまた少し泣いた。