わたしと長崎のおじさんのはなし #NoBarbenheimer - 2023年7月31日の日記 - はてなブログより

篠原あいり
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映画『バービー』と映画『オッペンハイマー』のコラージュ画像を見た。現代を生きるひとりの女性として、バービーはぜひ観たいと思っていたけど、画像を見た瞬間、一気に血の気が引く感じがした。あの画像に対して日本の配給会社が異議を唱えてくれただけでもだいぶ救われたが、それでも、ああいう画像を作ってやろうと考える人間がこの世に一人でもいて、あれを良しとする人間がこの世にたくさんいることに対して絶望してしまう。

わたしの誕生日は8月7日で、そんな日に日本に生まれるとどうしても8月6日のこと、8月9日のことを考える機会が多くなる。少なくともわたしはそうだ。たまに、わたしの誕生日が8月じゃなかったら、ということを思う。わたしは広島や長崎のことを全く考えないでいられるだろうか。原爆のことに限らず、この世の被害に遭った人たち全員のことを「当事者」と呼び、それ以外の人はその問題について考えなくてもよい、他人事という風に気楽にかまえたりしただろうか。

大人になってから知ったことだが、わたしにはかつて長崎出身のおじさんがいたらしい。わたしの母方の祖父の妹の夫なので、血は全く繋がっていないのだが、親戚の誰に聞いても、そのおじさんは優しくていい人だったと言う。おじさんが生きていればな、という話もしょっちゅう聞く。長崎は五島列島の出身で、朗らかな笑顔が特徴的なおじさん。五島列島の名物・かんころ餅をストーブで焼いてくれたという、優しいおじさん。おじさんは、長崎の被爆者二世で、わたしが生まれる前に白血病で死んだ。

つい、広島や長崎のあの夏に亡くなった人だけが「被害者」「当事者」と呼ばれると考えてしまうことがあるかもしれない。わたしもそのおじさんの話を聞くまではなんとなくそう思っていたような気がする。でも、わたしには原爆の影響で亡くなったおじさんが、確実にいたのだ。

小学生の頃は町内に広島で被爆した方が住んでいたので、小学校で講演を聴く機会もあった。その方は、長机を手で軽く叩き、この長机と同じくらいの大きさの爆弾で広島は大変な目に遭った、と話してくれた。翌年はもうつらくて話したくない、とのことで講演を辞退された。その、わたしが講演を聴いた翌年に話を聴くはずだった子たちは、広島のことを考えるだろうか。長崎のことを考えるだろうか。

この世に生きている限り、他人事として放っておいてはいけないことはたくさんある。悲しいかな、バービーの映画が女性に寄り添ってくれる作品であっても、日本人を差別する人が関わっているという事実は成立してしまう。そういう事実を目の当たりにするたび、わたしは何も取りこぼしたくないと思う。わたしはたまたま8月に生まれて、長崎のおじさんがいて、広島の人が近所に住んでいたけど、でも、そうでなくても、それらのことを考えたいし、それとは関係ないことについても考えたい。今すぐに分からなくても、考え続けたいのだ。あと30分ほどで2023年の8月が来る。8月以外にも、考え続けたい。

@matsugemoyasu
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu