飛行機を乗り継いでゆく遠い国にも聞こえそう 元気だよって - 2016年8月8日の日記 - noteより

篠原あいり
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誕生日を迎えた。十年前、十五歳だったわたしに向けての文章を配信すべく始めたnoteの利用だが、今日のこの更新以降は、十一年前のわたしに向けたものとなる。わたしがこの酷い暑さを耐え忍び、楽しくインターネットを謳歌できているのも、ひとえにインターネットの皆さんのおかげとしか言いようがない。これからも、どうぞよしなに。

 今年の誕生日はリオオリンピックと夏の甲子園の開幕のおかげで、なんだかとても賑やかに感じられた。わたしは運動音痴なのでスポーツをするのはとても苦手だが、テレビで観戦するのは割と好きな方だ。オリンピックの開会式なんかは、好きなものをいくつか挙げろと言われたらかなり上位に食い込むほど好きなので、リオの開会式も生中継を最初から最後まで観た。そんな自分の姿勢を省みて、なでしこジャパンが優勝した時のことを思い出した。あの頃「普段は応援してないくせに、こういう時だけニッポン頑張れって言うヤツ腹立つ」とか「エセ愛国心でニッポンニッポン言うのやめろよ!勝ったのは選手個人だろ?」とかSNS上で叫んでいた人たちがいた。そういった発言を見かけるたびに、なんとなくつけたテレビで大会の中継がやっていたらそのまま注視する程度にはスポーツのことが好きだし、特に詳しくないのに日本の選手を応援するくらいにはその国のことが好きだし、勝ったのはニッポンの選手だし、何も間違ってはいないはずだとわたしは思った。

 開会式のテレビ中継では、地図上のどこにあるのか分からない国の選手が、見たことのない国旗を振って入場する様子が映し出される。これはわたしが無知すぎるからというわけではなくて、たぶん今このエントリを読んでいる人の中にもおそらく、名前を聞いたことがあるようなないような、どんな文化圏の国なのかよく知らないような、そういった国のひとつやふたつはあることだろうと思う。しかし、日本人にとって「そういった国」になりうるはずの国の中に、わたしが知っている国がひとつある。ここでは国名を「かの国」としておく。イランやイラクの近くにあるかの国は、外務省の海外安全ホームページによると危険レベル3とされている。レベル3は、その国や地域がどのような目的であれ渡航を中止しなければならない状況にあることを意味している。そんな国からニッポンへ来た男性のことを、わたしは知っている。

 彼の名前はJという。背が高く、ダンスが好きな陽気な男だ。Jは今から二十数年前に日本へやってきて参加した文化交流のパーティーがきっかけで、わたしの家族と知り合った。当時のJは今のわたしより少し年上くらいだったように思う。彼はまだ幼いわたしや妹に会うたび「日本の子供はなんて可愛いんだ!」と感激して、頬に熱烈なキスをしてきたのだが、ヒゲやもみあげがあまりに濃い大男の力は強すぎて、毎度泣かされるのがお約束だった。愛が重いとはあのことだと、今でも思う。彼とバイバイして別れる時は、毎回頬が赤く腫れた。

 Jは日本の文化をのびのびと楽しんだ。「皿うどんのうどんって何!?」と、まだインターネットに頼るすべを知らないわたしたちに真剣に尋ねてきたり、小学生が喜ぶようなドリフターズの下ネタで涙を流して笑ったり、ドリンクバーに感動したり。ドリンクバーは「これ全部タダ!?」とはしゃいだため、ファミレスの店員が「お客様!ちがいます!困ります!」とドラマでもあまり聞かないようなセリフを彼に投げかけることになったのだが、システムを理解してからもJは「ニッポンはすごい国!こんなにおいしいものがこの値段で飲み放題!」と、メロンソーダをストローで吸い上げながら興奮していた。Jは日本のことが好きだった。わたしも明るくて楽しいJのことが大好きだったが、痛い痛いキスをされるたびに「きらい!帰って!」と叫んでいた。きらいなのは痛いキスだけで、Jのことは心の底から好きなのに、妙にませていたわたしは、彼にこう言って別れないと気がすまなかったのだった。

 陽気すぎた彼はその後、のっぴきならない理由でかの国へ強制帰国せざるを得なくなってしまうのだが、彼が本当に国へ帰ってしまう日が来るなんて当時のわたしは思いもしなかったし、日本へ二度と来られなくなるなんて予想もしていなかった。Jに「きらい!帰って!」と軽い気持ちで言わなければよかったと、彼がかの国へ帰ってしまってから毎晩、もう腫れ上がることのない頬を自分で撫でながら、布団の中で後悔した。Jからは数年に一度、かの国から国際電話がかかってきたが、わたしはその都度さみしさで胸がはちきれそうになって、「もしもし」としか口にできなかった。彼は何度目かの電話で「隣の国に引っ越したんだ!」と言っていたが、その時も「そうなんや」とだけ言って涙がこぼれた。泣いていることを知られたくなかったので、すぐ母にかわった。「アイリさんは僕のこと嫌いなのかなー?って言うてはったで」と、電話を切った母に言われて、わたしは更に泣いた。さみしかった。

 わたしが中学生になった頃、遠い国で戦争が起こったと、テレビのニュースでやっていた。空爆されたのは、Jが引っ越した国だった。暗視装置を通して映された空爆の様子は、今でも忘れられない。不気味な緑色の閃光。あの光の数々のひとつひとつが爆弾だと考えるだけで頭がクラクラした。どのテレビ局も朝のニュースでその緑色のことを取り上げていた。Jはどうしているだろう。無事だろうか?生きているだろうか?死んでいるだろうか?怪我はしているのだろうか?登校してからクラスの女の子に「戦争、始まったね」と勇気を出して言ってみたが「なんのこと?日本は戦争してないでしょ」と言われた。

 それからのわたしは朝のニュースを観るたびに泣き、授業で世界地図を開くたびに泣き、情緒不安定としか言いようがない状態になった。遠い国で自分の友達が戦争に巻き込まれているというのに、自分は朝からテレビを観て、朝ごはんをしっかり食べ、大勢で揃いの制服を着て授業を数時間受けるという状態が不思議で仕方がなかった。そんな生活をしばらく続けているうち、テレビでは戦争のことを取り上げることがほとんどなくなった。わたしは思春期をこじらせ、クラスの男子にいじめられ、不登校となった。戦争のことを忘れかけていた頃、家の電話が鳴った。Jからだった。母が泣きながら「今どうしてるの!?」と聞くと、Jは笑いながら言った。

「元気〜!?戦争で暮らせる状態じゃなくなったから、また別の国に引っ越したよー!」

 戦争で死にかけた人間が言う「元気〜!?」ほど心に響くものはなかなかないと、わたしは思う。あまりのギャップに思わず笑ってしまうくらい、彼の第一声「元気〜!?」にはパワーがあった。母から電話をかわり、Jと数年ぶりに話す。

「アイリさん!僕だよ!元気してる!?」

「うーん。あんまり元気じゃないから、学校行ってないの」

「そうなの!?じゃあ働かないとね!」

「日本では中学生は働けないよ!」

「どうして!?学校行けないなら働かないと!」

 衝撃だった。そうか。日本にいると忘れがちになるが、かの国や戦争をしている遠い国では、学校へ通えるのはとても恵まれた環境だからできることなのだ。そうでなければ、子供であろうと働いて生きなければならないのだ。「元気じゃないから学校へ行かない」という選択は、Jの中にはない。Jは続けた。

「アイリさんが元気じゃないのは、僕は悲しいな……そうだ!僕のいとこはアイリさんと同い年なんだよ!すっごく可愛くて綺麗な子だから、絶対に友達になれる!日本で働くのが無理なら、こっちへおいでよ!僕は日本へ行けないけど、アイリさんはこっちへ来られるでしょ?飛行機代だけ出せばあとはみんなタダよ!だって僕の家に住めばいいからね!僕の家には洗濯機もあるんだ!電話は隣の家から借りてるから、もう切らなきゃいけないけど……」

 わたしは自分が情けなくなった。抑鬱状態で心や体が思うように動かない状態にあるとはいえ、明日死ぬか生きるかどうかという状況の人に慰められるというのは、中学生のわたしにとってなかなかつらく切ないことだった。それと同時に、Jが生きていてくれてよかったと心から安堵して、いろんな感情がないまぜになった涙が溢れて止まらなかった。Jは「アイリさん泣いてばっかりでつまんない!」と言っていた。

 リオの開会式では、かの国の選手が笑顔で旗を振っていた。あの日戦争の起きた国も、戦争のあとJが引っ越した国もオリンピックに参加している。わたしは会場に笑顔で入る彼らを見て、「Jは元気かな」と思った。あれ以来、Jからの電話はない。あれから十年経って、わたしは働ける年齢になったが、飛行機代を出そうがホテル代を出そうが、かの国には今も行けない。戦争がなくなって、国民みんなが明日のことを心配せず、今日のことを不安に思ったりしないで済む夜が来ない限り、かの国へ渡ることはできない。

 開会式の選手入場の前、ブラジルの歴史を表現するライブパフォーマンスがあった。日本からの移民を表すダンサーが登場したのは、広島で平和式典が行われる時間と同時刻だった。テレビ中継ではそのことがナレーターによってアナウンスされていたが、会場にいた観客の人たちは、あのダンサー達を見て広島のことを考えただろうか。真剣に考えた人もいれば、全く考えなかった人もいるだろうし、「そういえば」という程度の人もいるだろう。わたしが「そういえば高校野球の時期だな」とたまたまテレビをつけて特に詳しくないスポーツを応援するように、開会式の旗を見てたまたま「Jは元気かな」と考えるように、ふと「そういえば」と思いを馳せるのは、悪くないことなんじゃないかと、わたしは思う。こういう時にかの国のことやJのことを考えるのは、何も間違ってはいない。常に考えているというわけではないが、忘れているわけではないしふとした時に思い出せる何かがあるというのは、わたしは結構好きだ。そう思うと、本当にインターネットは偉大だ。ふとした時にかの国のことを思い出してその場で簡単に調べることができるし、無料で友達と通話することだって可能だ。Jがパソコンやスマートフォンを持てる状態にあったら、とよく考える。顔を見せながらJと話ができるなんて、それこそ本当に夢のようだ。もしJが元気なら、わたしは今度こそ笑って「元気だよ!」と言いいたい。


今日の短歌

ニッポンのことに詳しい人が言う日本を僕は知らない六日

誕生日だよと自分の番号に電話をかけて録音をする

飛行機を乗り継いでゆく遠い国にも聞こえそう 元気だよって

@matsugemoyasu
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu