2013年9月9日の日記 - Tumblrより

篠原あいり
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机の中の整理をしていたら、小学生の時に使っていた彫刻刀が出てきた。 小学5年生の時に、美術の時間で「木版画をつくろう」というテーマのときがあって、「かく・うつす・ほる・する」までの行程を一通りやらされた。その「かく」「うつす」「ほる」「する」を、一回の授業につき一つこなしていくので、全四回ほどの授業の中で彫刻刀を使ったのはほんの数十分だけだった。 紙やインクは学校から支給され、バレンは貸し出されて使い方を学んだが、彫刻刀は数が合わないためかそうもいかず、たった数十分、「ほる」ためだけにマイ彫刻刀を買わされた。 私は最近までカッターナイフをきちんと使ったことがなくて、刃の扱い方や鉛筆の削り方を知らないまま育った。目が悪くてまっすぐ切られないのがもどかしいのと、異常なほど怖がりだったせいもあり、刃物の類はなるべく避けて生きてきた。ハサミも嫌いだったので、「つくってあそぼ」でワクワクさんが「ゴロリ、きょうはハサミを使うよ!」と言うと毎回ガッカリした。彫刻刀は、私が初めて向き合った刃物だった。 注文した彫刻刀は、「うつす」授業の前後に届いた。「高級焼入本刃付 昭和彫刻刀 特製五本組」と書かれた箱にしまわれている彫刻刀はとても静かでかっこよかった。これが和風というものかと思ってしみじみとした。しかも「刀」と名付けられている。私の、私だけの刀だ。早くこれで板を彫りたいと強く思った。すっかり彫刻刀を気に入った私は、美術の授業がない日にもランドセルにこっそりと忍ばせて、暇さえあれば眺めていた。 いよいよ「ほる」時間がやってきた。私は嬉々として彫刻刀を5本、机に並べた。先生が「くれぐれも彫刻刀の扱いには気をつけるように」と言い、使い方を説明してくれたが、その頃には彫刻刀は私だけの刀であり、私の武器だという思いが強まっていたので、私は絶対に怪我をしないものだと信じていた。刀が私を傷つけるはずがないのだ。 でもやっぱりそんなことはなくて、目が悪くて刃物の扱いに慣れていないどんくさい私はいちばん鋭い角度の刃で指の爪をえぐってしまう。思わず「いたい!」と叫ぶほどには痛かったし、血が板を少し染めたけど、私が恐れていたカッターナイフやハサミよりも鋭く危険なはずの彫刻刀で指先を傷つけても、「なんだこんなものか」というほどの痛みと血の量で、少し拍子抜けした。 先生に「彫刻刀で爪えぐれた」と報告すると、先生は「ほんまや!彫刻刀で爪えぐれてる!」と言い、すぐ保健室に行くように指示した。 保健室で消毒をされて大きめの絆創膏を貼られている間、私がどうして今までカッターナイフやハサミを怖がっていたのかを考え、多分それはカッターナイフやハサミで怪我をしたことがなかったせいだろうと結論づけた。カッターナイフやハサミに対する接し方も彫刻刀に対する接し方も、どちらも間違いだったのだ。臆病すぎてもダメだし、舐めすぎてもいけない。 処置を受けて教室に戻って席に着いて作業を再開した。怪我をした分、「気をつけないとな」と意識したが、「もう怖いから触りたくないな」とは考えなかったので、私は自分が感じているより怖がりではないと思った。 彫刻刀で怪我をしていなければ、私は多分、ずっと臆病で舐め腐ったまま大きくなるだろうと漠然と想像した。ただ、カッターナイフで鉛筆を削られるようになるのはそこから10年以上経ってからだから、当時の私には謝らなくてはならないけど。 隣の席の内海くんに、「僕もこないだ彫刻刀でケガしたで」と言われた。内海くんも彫刻刀を持てたのが嬉しくなって、家で机を削っていたら手を切ってしまったのだそうだ。 私は内海くんに「彫刻刀でケガすると、彫刻刀で切られた痛みがあるよね」と言った。内海くんは「そうやねん。彫刻刀でケガすると、彫刻刀でケガした痛さやな〜って思う。カッターはカッターの痛みがあるしな〜」と言って笑った。内海くんは大人だと思った。

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派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu