最近ラーメンズが好きで……という話はしていたと思うんですけど、そこで片桐仁さんが出演する舞台が近くあることを知り、公式サイトのあらすじとコメントから「何か」を感じ取った結果行くことにし、一回だけのつもりが四回行っていた。わりと無茶をした。いつもはこんなことしないのだが……
片桐ウィルにハマってしまい、そしてウィルというキャラクターが好き!になってしまい、他のキャストさんの解釈のウィルも見たい!になり、こんなことに……
5月14日(マチネ・ソワレ)、5月17日(マチネ)、5月18日(マチネ)で観劇。リピーターチケットやtktsによる割引があって助かった。
公式サイトよりあらすじ引用。
手つかずの雄大な自然が広がる、アメリカ西部アイダホ州。 ウィルは生まれ育ったカー・ダレーンを離れ、心機一転、州都ボイシーでの生活を始めた。
大手スーパーマーケットチェーン店“ホビー・ロビー”に再就職したウィルであったが、 同僚には利益の追求に固執する店長のポーリーン、ロマンチストでどこか不器用なアンナ、 独特のアート志向を持つ大学生のリロイ、内向的で他者との関わりを避ける少年アレックスがいた。
ある日、ウィルが抱えていた過去の出来事が明るみになり、従業員たちの歯車が徐々にずれ始めていく......
アメリカ西部の長閑な街を舞台にした、リアルな人間模様を描く口語劇。
以下4回見てもまとまらない感想。ウィル中心。
ウィルが救いたいものは結局のところ自分の人生なんだろうけど、そこでいわゆる努力をするとかじゃなくって終末論にハマってしまった、ということなんだろう、と思っている。もちろん努力をしたってどうにもならないことはある(だからといって他人を傷つけてはいけないのだが)だって人生どうにもならないのならすべてが終わったほうがいいじゃないですか。すべてを終わらせてくれる神がいれば「何の価値もない」人生でも価値があるような気がするじゃないですか。車内で暮らしてたって祈れるじゃないですか。祈れるだけなんですけど。
「お前の人生に何の価値もない、自分の人生にも何の価値もない」っていうの、あれが本心なんでしょうね。だから自分の人生に価値がほしい。価値を与えてくれたのがたまたま彼にとっては信仰だった。しかも終末論だった。ウィルのこれまでの人生はあまり多く語られていないけれども、決してものすごく特殊というわけではないんだろうな、と考えている。
ここでウィルがコモンネームであることが効いてくる。ウィルは決して「他人」ではない。ウィルをわれわれから切り離してはならない。カルトにハマった人なんだと他者化することはできない。もちろんwillともかかっているのだろうが。
わたしが最初に見たのが片桐ウィルだったこともあり、ウィルって嘘はついてないけど本当のことも言ってないよね、「信仰によって解雇することはできない」こともそこまで自覚的に運用してるわけじゃないよねって思ってたんだけど、竹尾ウィルを見たときにもしかしてこいつある程度わかっててやってる!?になったんで解釈っておもしろいなと思った。他のお二方が演じるウィルも見てみたかった。ウィルがかなり好きなので……
片桐ウィルも竹尾ウィルも、「普通の人」なんですけど、普通のベクトルがちょっと違って、片桐ウィルは「普通に愛嬌がある人」で竹尾ウィルは「普通に温厚な人」っていうイメージがある。あと最後の方でアンナに怒鳴ったときの印象が、片桐ウィルは「今まで堪えていた感情が爆発してしまった」、竹尾ウィルは「正しいと思っていることを言っていたら感情的になってしまった」っていう感じ。
ラストの暗転前の表情、初見時は片桐ウィルは「何かを見てしまった」みたいな気がして、なんらかの「啓示」を受けてしまったのかな?っていう感じだったんですけど、18日の片桐ウィルはそこまで見神って雰囲気でもなく、息を呑む、あるいは息を吸う、という印象。どちらにせよ口から息を吸っている。ここで竹尾ウィルは鼻からしっかり息を吸うんでぜんぜん印象が違うんですよ。これから「今」って言うんだろうなってはっきり思えてしまった。そう思うとこれってウィルの回想の中をぐるぐるしているんじゃないかな、とも考えられるんですよね。
「今」って言うときに照明がちかちかしたりするの、これってウィルの心象風景なのかな、って思わされたし、ラストシーンでプロペラの音がしているのも、ウィルが書いた小説に重ね合わせられているんだろうし……ウィルの「今」の祈りの中でぐるぐる回ってるんじゃないかなっていう気がするんですよね。ウィルは祈りの外に出られるんでしょうか。どちらにせよアレックスの存在は現実なので向き合わなければならないのだが、「今」父親になるときだ、っていうリロイの言葉は、ちゃんと届いているんでしょうかね。
リロイがけっこう好きで、「正しさ」でアレックスを守ろうとしてるけど結局縛っているところもあるんだなってところがよかった。ちょっとパターナリスティックだよね。兄だけど。でも結局アレックスに「大きな答え」を手渡すことはできなかったし、それは本人も自覚しているところである。
リロイとアレックスの脳内当てゲーム、あれはパニック障害の発作を抑えるための儀式なんだろうけれども、同時にリロイが常に正しくあれる儀式でもある。リロイはきっと嘘をつかないだろうが、あのゲームの正解は、リロイのさじ加減ひとつで決まる。それをわかっていて茶番をやっているように感じられる。どうなんだろうね。
アンナは役者さんによって印象が変わり、藤谷アンナは完全に空回っていてたまに自虐的ででも自分の立ち位置もちゃんとわかっている、って感じ、福永アンナはもうちょっとロマンチストっていうか血に足がついていない空回り方をしていた。どちらにせよ対ウィルでずっとから回っているんだけど、自分の境遇を話しかけて詳細はやめる、というのはかなり現実的で(本人にとって)いいことなんじゃないかなと思える。
アンナがこのあとカルトにハマるかはわからないのだが(でも福音主義の教会に行ったことはあるしウィルの小説も読んだんだよね)(でもおもしろく読めたってことはある意味他人事として読んでるから大丈夫なのかもしれない)ぎりぎりのところで大丈夫なんじゃないかな……と信じたい。なぜならアンナは自分のために本を読める人間だから。というか、それは自分のための努力だから。
アレックスのラップのシーン、役者さんによってまったく違うので楽しかった。小西アレックスはわりと硬め、大野アレックスはかなり身振り付き、井阪アレックスはコーラスがついてた。そこまで違うんだ……あとこのシーン、荒木リロイは後ろで爆笑してるんだよね。それにつられて観客も笑って……いいのか!?みたいになっていた。
アレックス、個人的に好きなのは井阪アレックスだった。なんかずっと濡れた子犬みたいな感じだった。正直ウィルが現れなくてもそのうち何か破滅的なことが起こったんじゃないのか……?と思うんだけど、それはどのアレックスもそうかもしれない。なんだろう、自分の人生を「おもしろく」してくれる誰かや何かを根底では求めている時点で、かなり人生はしんどいと思う。
ポーリーンが一番自分から「遠い」ので安心して見ていられたというところがある。資本主義に魂を売っているのだがその分現実が見えるので今起こっている何かをどうにかしなければならないと思っている人。まあ……こうなってしまっては何もどうにもならないのかもしれませんが……店は立て直せるんじゃないでしょうか。店が立て直せたところで人生は、と考えないのがおそらくは彼女で、だから概念的に強いところがある。
なんかほんとうにウィルの最後のあの表情、あれを見るための100分だな、という側面がある。これは演じる方によってぜんぜん解釈が違うんだろう。戯曲版も読んでみたいな。英語なら根気があれば読める!(ということにしておく)
全キャラクターのこれまでとこれからの人生が気になりました。いいものを見た。