勉強しかできないと思っていたが勉強すらできずそのおかげで生き残った

matsuri269
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公開:2024/6/12

いきなり過去の出来事について整理しろという圧が自分の中から発生したので書く。現実逃避なのでは?そうかも……

※希死念慮の話題を含みます。


大学入試で全落ちしたときにまず思ったのが「これで死ねなくなってしまった」だった。なぜなら大学入試のモチベーションが「できるだけ遠い国立大学に行ってさっさと死ぬ」ことだったから。今思うとそのモチベーションがある状態でまともな勉強ができるわけがないのだが、当時は本気でそう思っていた。できるだけ遠いのはできるだけ連絡が遅れるようにで、国立大学なのはできるだけ金をかけないためで、希死念慮自体は10歳くらいからあったのだが、親に育ててもらった恩を返すために死んではいけないということにしていた。大学に入ったらまあいいかなという恣意的な運用をしていた。なお学部に関しても「まあここに入ったら死んでも仕方ないよな」みたいな理由で選んでいた。

後日現役時代の得点を開示したらあと数点で合格してしまっていたのですれすれだった。そうなったらそうなったで生き残ってしまったのかもしれないが、確率は下がる。というか自分の選んだ道を正当化するしかないので、それでよかったのだということにしている。

高校時代のメンタルヘルスはかなり悪く、理由の7割ほどを当時所属していた吹奏楽部が占める。楽器のことは好きだったが吹奏楽部にまったく適応できなかった。なおこの吹奏楽部は同期の4分の1が不登校になりそれ以外にもメンタルクリニックに通っている人間が複数いる、という状況だったので、そもそも状況がかなり悪かったのだろう。なおみんなの精神状態が悪かったからなのか何なのか知らないがそんなにうまくなかった。というかコンクールで結果を残すことはなかった。メンタルヘルスと引き換えに勝ったらそのほうが今後の人生に悪影響を与えたと思うのでそれでよかったのかもしれない。また過去を正当化している。

大学入試で全落ちしたので浪人することになり、予備校に通うことになり、また死ぬために勉強するのか……と思いながらもなんか糸が切れてしまってどうすればいいのかわからなくなっていたところで、行くことになる大学に出会った。高校の友人の第一志望だというその学校のオープンキャンパスに一緒に行き、運命に出会ってしまった。何がどうとは言えないのだが、ここでなら生きていける可能性があると感じてしまったのだった。とにかく息がしやすいように見えた。第一志望ここじゃん、になった。しかも入試問題が極めて特殊かつ自分に適合しすぎていた。こういう人間はたまにいるらしい。いわゆる同ランク帯の他の大学の問題は解けないけどここだけ解ける人間が。わたしは完全にそれだった。おかげで英語しか勉強しなくてすんだ。いや、一応他の科目もやったけど……

予備校ではいろいろなことがあり、今までなんだかんだ付き合いのある友人ができたり、『「家の裏でマンボウが死んでる」と日本文化』で書いた小論文が全国に配布されてしまったりということがあったが、今回は割愛する。

高校生の時は勉強しかできないと思っていたが、勉強すらできないんだなということに気付き、しかし大学とか大学院になるとどんどん成績が上がってったので、自分の努力の量がどうとかじゃなくってこれだいたい全部環境要因だな?と思うようになる。周りの環境を自分が評価されるようにすればいいんだな?ということに気付くのが遅すぎた。努力めいた努力は何もしていないのに評価される場所もあれば、何をやってもだめだと言われる場所もある。

そしてわたしにとってわたしの入った大学は、評価してくれる場所だった。授業に参加し、本を読み、小説を書き、図書館主催のクイズ大会で勝ち、映画を撮り、ヒーローショーのプロデュースをした。普通にしているだけなのにほめてくれる人が多かった。それが「合ってる」ということなのは、卒業してからわかった。人間関係の大きなトラブルが発生し、後味は悪かったのだが、でも、大学はわりといい場所だった。人間関係のトラブルが大きすぎたので戻りたいとは一切思わないけど……それも含めていい場所だったんじゃないかな。

希死念慮自体はまだ普通にある。何年希死念慮ホルダーとして生きているのかよくわからなくなってきてしまった。なんかでもそこまで計画的にこう!じゃなくって突発的かつ受け流せるようになっているような気はするので、生き残ってしまった日を重ねていくしかないのだろう。