わたしには文体なるものにかなりの興味を示す性質がある。昨日DNの日記を書いていて一番気になったことが、その文体だった。おそらく、普段遣いの短文系SNSとは異なるテイストの文体だったろう。まだ例文が少ないのできれいに分析して見せることはできないのだが、文字数上限がまったく異なっているというのは、異なる文体を選択するーーなんなら、異なる内容を選択する理由となる。
ここでわたしは文体を選択すると書いたが、文体を自分で選択することはできるのだろうか。もちろん、わたしもお遊びで「ユゴー風文体」とか「はやみねかおる風文体」で小説を書いたことはあるが、遊び以上に、自分が身に着けているものとしての、文体を。そのあたりはきっと山程先行研究があるのだろうから、今ここで適当な結論を出すよりも調べてから喋れという、はなしだろう。
あとまあシンプルにエディタによっても書くものが変わってくる。この「しずかなインターネット」を使うのはこれが2回目だが、シンプルなエディタ(表示されるように書ける)で行間もゆったり目である。文字色は濃いグレーで、それもどこかやさしさを感じさせる。また、もしこれがゴシック体ではなくて明朝体のフォントだったら、かなり雰囲気が変わってくるだろう。
わたしが短文系SNSに書くものと、ここに書くものと、私的なノートに書くもの、すべての文体は異なっており、しかしどこかに通底するものがあるように思われ、それが「文体」なのだろうというぼんやりとした認識をしている。