イマジナリー生前葬:小林賢太郎「丸の人」

matsuri269
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公開:2024/7/16

Potsunen、という小林賢太郎ソロ公演のシリーズがある。これらは、スタジオコンテナ公式Youtubeで公開されているため、それをきっかけにいくつか見るようになった。

今回取り上げる「丸の人」は、2006年に上演された『○ -maru-』の最後を飾る物語だ。(以下のリンクは、開始位置まで飛ぶようになっている)以下のテキストは、「丸の人」のラストシーンに触れているため、見ていない人はぜひ見てから読んでほしい。だいたい14分くらいだ。


ここでは、小林賢太郎が演じる役を「画家」「丸」と呼ぶことにする。

わたしが初めてこのコントを見たときに思ったのは、「死」の気配が色濃い、ということだ。ラストシーン、雪が降りしきる中、画家は「丸」の腕の中に抱かれて目を閉じる。画家が死んだかどうかは、明確には描写されていないのだが、雪が降っていることもあり、かなり強めに「死」を想起させる演出であることは確かである。では、ほんとうに画家は死んだのだろうか?もしかしたら、眠っているだけなのではないだろうか?

わたしは、「あの画家は、画家としてはラストシーンで死んでいるが、人間としては生き残ったのではないか」と考える。

「丸の人」の画家は、丸という概念に執着する人間であった。さまざまな丸を描くのみならず、じゃんけんではグーしか出さないなど、丸という概念そのものを愛しているという描写が前半で見られる。そんな画家は、「白い丸」だけは描いたことがないことに気が付き、雪だるまをモチーフとして白い丸を描こうとする。しかし、雪はなかなか降ってくれない。画家は、「丸を描くことに向いていない」のであった。それを告げるのが、後に「丸」であると名乗る声だ。

「そういうの、世間では、向いてないって言うんですよ」

「……向いててえ」

「おやめなさい、これを言ってあげられるのは、私しかいないんだから……か」

画家は、「丸」との対話の中で、絵を描くことを諦めた(ように読める、明言されてはいないのだが)

「俺さあ、今までで、いちばんでっかい丸を完成させてた」

「どこに?」

「ここーー心にぽっかり穴が空いたよ」

なぜなら、この会話の後、画家は、キャンバスを片付けようとしながらこう言うのだ。

「これでやっと休めるよ、これももういらねえや」

しかし、キャンバスが片付けられることはない。「丸」は、重要な事実を口にする。

「そうそう、大事なこと言い忘れてました。この公園、0時で電気が消えます」

ここで、舞台は暗転する。

「おつかれさまでした」

「ところで、お前誰だ?」

「丸ですよ、丸」

このコントにおける、最後のセリフが、これだ。「天の声」のようにも聞こえたその「声」は、最後に自らが「丸」であることを明かす。そして、明転したら、舞台上には雪が降っているーー画家が望んだ通りに。

キャンバスは裏返され、画家のコートを着て、今まで座っていた黒い球を頭として「丸」が顕現する。画家と「丸」はじゃんけんとあっち向いてホイをするが、2回は画家が負ける。なぜなら、画家はグーしか出さないからだ。3回目はチョキを出すので勝つことができたが、あっち向いてホイでは負ける。最後、画家は「丸」の足元に座り、倒れそうになるが、「丸」の手が画家を抱きかかえるように支え、暗転する。

このシーンについては、解釈が割れるところだと思うのだが、わたしは、最初に暗転してから以降の、言葉のないシークエンスに関しては、画家の心象風景なのではないか、と考える。公園は、0時で電気が消える。もし雪が降っていたとしても、画家はそれを見ることはなかったはずだ。だから、明転して以降のシーンは、画家が「そうあってほしい」と思った光景であると同時に、「丸を心から愛していたことに対する報い」であるように思われるのだ。

画家は、画家であることを諦めた。それは、画家としての「死」を意味する。しかし、それはある程度ポジティブな諦めである。画家は、最後の最後に最もきれいな丸を描くことができたーー自分の心に。そしてそれは、「丸」によって「花丸」として承認された。それによって、画家はようやく諦めることができたのではないだろうか。向いていないことーー丸を描くことを、やめることができたのではないだろうか。

それに加えて、雪が降っている明転後のシーンでは、「丸」が画家に帽子を被らせ、眠らせてくれる。自らの胸に抱いてもくれる。これは、画家が願ったことであるだろうし(丸になら抱かれてもいい、と言っていたのだから)「丸」による「祝福」なのではないかと考えられる。「丸」が何者なのかも、このコントでは明確にされていない。画家の才能そのものなのかもしれないし、画家の自問自答なのかもしれない。はたまた、この世界に存在する「丸」という概念そのものなのかもしれない。ただ、どれであっても確かなことがあり、「丸」はずっと、画家を見守っていた、ということだ。ずっと見守っていてくれた存在が、画家の「死」を見送ってくれた。

さながら、生前葬のように。

「画家」は確かにラストシーンで「死んだ」のだろう。そして、0時になって暗くなった公園に、誰かが立っているのだろう。キャンバスを片付けて、コートをもう一度着てどこかに行くであろう彼の、道行きに関しては、何もわからない。