最近、Twitterで話題のこの動画を見た。
キモシェアハウスと呼ばれている、芸人同士のシェアハウス。そこからひとり(木田)が抜けることになって、泣いてしまったというひと(村田)の話だ。この動画では、かなり人間の心のやわらかいところに触れられている(そして、芸人だから笑いにはなっているのだが、人によっては笑えないよと思うかもしれないから、無理に見なくてもいいとは思う)依存、執着、セクシャリティ、インナーチャイルド、友情、愛情、そのようなものたち。
この動画をきっかけに、キモシェアハウス関連の動画をいくつか見ることになったのだがーーここでは、この動画を見て想起されてしまった、自分のアイデンティティの話をしたいと思う。
なんだろう、今ここにいる自分は「代理」であるという実感がある。何の?「本来の自分」の。その「本来の自分」が現実に嫌気が差して作ったのが今の自分であるという認識をしている。その事象が起こったのはけっこう前というか、7歳くらいのころだ。だから、「今の自分」でいるほうが長い。だからこの「今の自分」で生きていくしかないことはわかっている。わかっているのだがせっかく「作った」のならばもっと完璧に作ってくれなかったのか?という思いがちょっとある。
上記の動画の村田は「男性性の仮面」をかぶっている、というようなことを言っていた。「いかつい男」のコスプレをすることによって生きてきたのだと。その言葉を聞いて、なんかこのことを思い出してしまったのだ。もっとも、わたしは男性性も女性性も選択できなかったのだが。今の自分は「本物じゃない」だからギャンブルもできると言っていた。今のところわたしはギャンブルに手を出さずにすんでいる。それがいいことなのかどうかはわからない。
「今の自分」にはそれはそれで苦しみがある。現実を生きているからだ。本来の自分が起きてくる気配は一切ない。というかいるのかどうかすらわからない。フィクションなのかもしれない。でもその記憶があるんだよな、偽物なのかもしれないけど。なんかでもこの現実のことを現実じゃないと思っている節がある。どうせこの自分は偽物だろ?と思っているところがある。でもこの自分で生きていくしかないんだという覚悟はある。
覚悟があるだけで生きていけたらこうはなっていないんですよ。
「今の自分」が出会った人たちや、思い出たちは大事だと思っている、なんせこの自分で長年やってきたのだ、そう思うしかない。崖にずっと立っているような気がしてならない。落ちていないだけで褒めてやりたいのだが、落ちないのは「普通のこと」なのだ。
なんかいろいろ思い出しちゃうんだよな、あの動画。すべては書かないけど。「愛してもらえるならセクシャリティなんかどうでもいい」って思えること、わかるよ、わからないほうがいいんだろうけど、わかるよ。まああの動画はみんな芸人(あるいは元芸人)だから言語化スキルが高くて、それで「みんな」の共感を呼んでいる面は、あるのだろうが。