なんか自分が書いているものってそれっぽいだけでそれじゃないじゃんと思ったので創作をはじめた頃の初期衝動を思い返そうと自主制作映画を見ることにした。そう、わたしは諸般の事情でちょっとした自主制作映画を3本撮っているのである。トータル1時間半くらいしかないが、監督脚本編集ぜんぶやっている。ちょっとだけ出てもいる。
見返してみたらまあ確かに技量は全然ないしもっとこうできるだろっていうところはあるんだけどでも「欲望」がすごいな!と思った。欲望っていうか、こうしたい!っていう気持ちがものすごくたくさんある。ヒーロー概念にまつわるはなしなんだけど、なんとハッピーエンドではない。最終作のラスボスは倒せないまま終わる。そしてラスボスの能力は「相手が見たい世界を見せる」能力なんでそれで世界がめちゃくちゃになる。ラスボス以外の主人公が死ぬ。というかヒーローに憧れている青年に殺されることになる。なのにちょっとさわやかな感じがする。何がどうなっているんだ。
ついでにこの自主制作映画のカップリングだったりそうじゃない二次創作がたくさんある。当然これも自分で書いたものだ。自主制作映画のセルフ二次創作なんで、自我の煮凝りにしかならないんだけど、これもまあ暴走していて楽しい。こういう気持ちが最近はなかったんじゃないだろうか。そうかもしれない。そうかもしれないけどここまで走っていいのかな。自分のことを特定領域内の神だと思っている/思い込まされている存在と、ヒーローになるために命を落とし、仮初の生を一定期間与えられている青年の儚いんだか図太いんだかわからない関係性をやってたりした。あとその「神」がバグって青年を殺したりもしていた。正しいけど不安だなあっていう話がいちばん自分らしくっていいなあと思う。宿敵に監禁されたのにどことない安堵を感じてしまったまた別のヒーローが「神」に救われてしまってこれがほんとうに正しいのかな?って思いながらもその手を取るしかない話とか……
わたしはずっと正しさと不安の話をしているような気がしてきた。そのふたつに関係なんかないのに、正しければ不安じゃなくなるんだと思ってしまう人たちの話を。あとみんな自我と感覚が遊離していてどことなく苦しいけれどもその苦しさを認識できていない。苦しみの認識できなさが好きみたいです。なのに普通に振る舞えているっていうところが。
原初の欲望に立ち返ると見えてくるものがありますね。今度「自分が好きなもの」を書いてみたいと思います、ハッピーエンドに呪われないように。