上通り人材

松下とも子
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学生の頃、熊本・並木坂のミルフィーユという小さなパン屋でバイトしていた。朝鮮飴屋のお向かい。上通りの手前のこの通りにはかわいいお店がひしめいていて、石畳の道すら田舎から出てきた私にとっては外国みたいに映ってわくわくした。

役所や病院の売店にも卸していたので、食パンをスライスしてビニール袋に入れてきびり、ばんじゅうに指定の個数を入れて揃えるのも仕事。朝になったらお父さんとお母さんがそれをリヤカーに積んで配達して歩く。焼きたてのパンは柔らかくて切るのに苦労したがだんだん慣れた。不愛想な職人さんも、コツコツまじめにやっていればそれを見て打ち解けてくれるのが嬉しかった。今のようなパンブームとは遠い時代、お客さんは常連さんばかりでのんびりしていた。

出勤前や帰り道に近所のお店をのぞくのも楽しかった。リッキ・ティッキ・タヴィというお店で買った真っ赤なワンピースをどんとに褒められたのは一生の思い出。別の古着屋さんで買ったVANのダッフルコートはずいぶん長いこと愛用した。BON ETOでオリーブに載っていたブーツを見つけ、うんうん悩んで八千円三回払いのローンで手に入れたこと。当時の買い物は思い入れの濃さも深さも違う。全部捨てずに取っておけばよかった。

年末にはいきなり団子前の甲玉堂(文具店)でプリントごっこの実演販売のバイトもした。はっぴを着て、私にとっては遊んでいるような楽しい仕事だったが結構売って毎年声がかかった。熊本の街なかのど真ん中、目撃されまくるので他学部の知らない人からも「プリントごっこの人」として認識されていた。あ、「熊本美少女写真館」に声をかけられることはありませんでした、、、涙。ローカルTVの「わかっとらんど」には一回出た。街のおしゃれな若者コーナー、猛吹雪の日で人がいなかったのだ。リーバイスのダウンジャケットにビームスで買ったニットの正ちゃん帽、鬼瓦権蔵のような恰好で映ってしまった。

何が言いたいかというと、適所適材ってあるよね~、ってこと。鶴屋のパン屋は不合格で(なんか面接の質問が意地悪かった、合わなかったのだろう)、下通りのレストランでも働いたが同僚も客もOLっぽい人が多くすぐ辞めてしまった。水が合うこと、遊んでいるような感覚は大切。「あっちのみーずは、あーまいぞ」、で、いいのだきっと。自分は上通り人材だったんだと思う。今交流がある熊本の人たちもやっぱりそうで、あの辺りで私が若い頃ときめきながらのぞいたようなお店をやっている。

遊んでいるようですが、これも仕事です。

@matsutomo
福岡で写真と文筆をやってます。 ★ほとりスタジオ www.hotori-std.com ★第54回九州芸術祭文学賞 佳作受賞kyubunkyo.jp/archives/1158 ©2024松下とも子