Twitterのタイムラインが友人の子どもたちが入学式を迎えたことを教えてくれる。ぱりっと糊が残る教科書や真新しい制服のサージの匂いがもう思い出せない。
進路を初めて考えたのは中3の八月だった。卓球部で、最後の県大会が終わって私は家にいた。結果は団体戦ベストエイト。あと一勝で九州大会に進出できたのに、という悔しさが大きかった。調子を崩していて個人戦には選出されずで、なんとも不完全燃焼な私に蝉の声はうるさく響いた(美誠ちゃんの気持ち、分かるぞ!)。
板の間に寝転んでいたら、急につきあっていた男の子に電話してみようと思いついた。しかし今思えば当時は電話で何を話していたのだろう。ただつきあうって事実が楽しいだけの中学生の男女に、話すことなんて無いよね。
黒電話のダイヤルを回すと順当に彼が出た。話しはじめるとすぐに電話の向こうでミ、と鳴き声がした。「猫飼ったん?」と聞くと「姉ちゃんが産んだ。子ども。」と答えた。
蝉の声が急に遠くに消えたがした。姉ちゃんは当時、17歳だった。彼はどちらかというと大人しい静かな人だったけどヤンキーで、当然家族もそうで、というかどこを見まわしてもそうだったから付き合う男の種類に選択肢はなかった。
私ここから消えます。さようなら。私は急激に勉強を始めた。わけの分からなくなっていた数学は一年の教科書からやり直した。計画表を作り、ほとんど毎日夜中までやり、カバーしきれないところは年末年始に小倉まで短期集中講習に通って京築で一番の進学校に滑り込んだ。
あの「ミ」が恐怖だった。ここにいる限りはあの「ミ」を産まなければいけない。それもすぐ近い将来。いやだいやだいやだ。逃げろ逃げろ逃げろ。とにかくここから遠くへ。あの「ミ」の手が追ってこないところへ。
故郷は生殖で溢れかえっていたが死の匂いが強かった。中学校の裏手には墓場があり、その外れで彼の実家は火葬場を営んでいた。今のオートメーションな火葬場ではなく、薪を組んで一晩かけて焼いていた。彼の祖父がその職人で、一升瓶のお酒を持っていかないときれいに焼いてくれないという評判があった。私の祖父母はそうやって荼毘に付された。焼き始めるとおなかからぱちんとはぜる、と言っていた。その一帯を牛耳る暴走族は「墓場の鬼太郎」という名前で、入隊した同級生は崖から落ちて死んだ。
まったくもって事実は小説より奇なりだ。書いていて日野日出志かと思った。15歳まで私を取り巻いていたそんな空気は消えることがないし、夢の見方など未だにわからないのも仕方ないのかも。都会は生も死もむきだしではなく、接し方も選べるからほっとする。私は明るい街が好き。