夕飯を作っている最中。ブン(猫)が冷蔵庫にひょいとあがり、電子レンジに潜ろうとしていた。とっさに片手で払ったら、にゃんぱらりをする暇もなく床に背中から落ちてしまった。幸い怪我はなかったが、打ち付けられたさまに胸が痛んだ。「ごめんね、ママが悪かったね、もうしないね」気が付くと撫でながら必死にに話しかけていた。ママだって。いつ産んだというのだ、この白黒のけものを。
もう猫を飼いたくはなかった。十八年生きた猫のくるりちゃんが亡くなって、あんな悲しい思いには二度と耐えられないと思った。この年齢になって慟哭することがあるとは。もう助からないと悟った日、炊飯器からご飯をよそおうとしたらなぜか吐くように嗚咽があふれてきてきた。炊きたてのご飯の湯気を浴びながら私はわあわあと泣いた。
いてくれるだけでこんなに大切だったなんて。
よぼよぼになりぽそぽそになればなるほどかわいかった。自分はどちらかというとクールに接していると思っていた。でも、仕事で疲れてだるいわ~って時でもそれを脇に置いて、猫ファーストでお世話をすることだけはやってきた。新しい水をこまめに汲んであげるとか、トイレをしたらすぐ掃除してやるとか、体調に違和感を感じたらこれぐらい大丈夫じゃね?と思わずすぐ病院につれていくとか。
今思えば、猫かわいがりするより、SNSにかわいい写真をアップするより、いつもかつも心をこめなくても、少してきとうでも、そういった毎日のちょっとしたお世話、その膨大な時間の積み重ねがお互いが「大切な存在」になることへ導いてくれた気がする。くるりちゃんは私に愛を教えてくれた。
臆病な私はブンを好きになることが怖くて少し距離を取っていた。まぐおさん(夫)が見つけてきたからまぐおさんの猫ですよ、とこころを逸らして接していた気がする。でも、とっさに「ママ」と言った自分の声にはっとして、思っているよりずっとブンのことを好きになっていることに気が付いた。
まぐおさんはブンが来てからとても楽しそうでいきいきとしている。この人は何か小さいものをかわいがりたかったのだなと意外に思う。仕事から帰ってきてドアをあけると開口一番にブンを呼ぶ。ブンは仔犬のようにまぐおさんに駆けていく。新しいパーティーでの旅が始まっている。
2021年に開催した個展より。