朝締めのかんぱちが値引きになっていたのでサクで買って来た。醤油と酒とみりんをさっと煮て漬け汁を作り、丼にする。
生まれたと思ったら豊前海の魚を詰め込まれて育った。そんな育ちなわけでどうしても刺身の口の時があるが、まぐおさん(夫)はあまり生ものを食べない家に育ったそうで反応は芳しくない。でも時々は付き合ってもらっている。
バブバブ言ってる時から食べさせられている。鯛だね。
どれくらい魚喰いかというと、水俣病資料館に行った時、当時の漁師の平均的な食事の模型があって「うちじゃん」と思ったほどである。おかずはほぼ、皿にぎっしり敷きつめられた刺身、もしくは煮魚(切身などではなく尾頭付き)。九州に戻って来たタイミングで水俣フォーラムの会員になったが、どこか他人事と思えない面がある。海が違えば私は被害者だった。
はじめての内孫で、祖父母にはあんころ餅を転がすようにかわいがってもらった。祖父は近所の魚屋からしょっちゅう「今日の一番いいの」を取り寄せて私に食べさせていたらしい。
4歳ぐらいになると、年金が出る日には私を町でひとつだけある寿司屋に連れて行った。カウンターに座り、さんざん孫自慢をしたことだろう。私はありがたみも分からずたまごの握りなんか食べたのだろう。食べ終わると次は本屋、おもちゃ屋。そんな時に祖父が必ず着ていた三つ揃えとハットをおぼろげに覚えている。「めばえ」「幼稚園」「小学一年生」などを買ってもらった。ふろくは完成させたためしがなかった。
そんなわけだかなんだか、男のひとから理不尽な扱いを受けると「かけがえのないこの私にどうしたことか」と身体の芯が反発してしまう。だめんずに引っかかりそうで引っかからなかったのも刺身と祖父のおかげと言える。
こてんぱんに振られても、自責するより「なし私がこんな理不尽な目に合わないかんとや、はがいか。」という具合。幼少期に与えられた自信は一生ものだ。
そのかわりと言ってはなんだが、女の人の不機嫌や悪意が私は怖い。びくびくしてしまう。祖母とは大変に気が合い良いコンビネーションだったが、母親の影響だろう。ジャンルによってびっくりするほど自己肯定感に凹凸がある、それが私である。