社交辞令

matsuyoi
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だいぶ久しぶりの投稿になった。この事実で気づいたことが一つある。

なぜここで書く気にならなかったのか。忙しい時期があったのも事実。でもそれ以上に、ここに何かを書くことで自分の精神状態を保たなければならないほど、追い詰められてはいなかったからなのだ、と思う。つまりは、私にとっての文章を書くという行為の燃料が、自分の辛さということだ。確かドストエフスキーや太宰治もそうだったような気がする。(出典元は提示できないから、あまり信じすぎないでほしい。)

前置きが長くなってしまったが、本題に入ろう。今回のテーマは「社交辞令」だ。

私は、相手から言われたことが社交辞令かどうかを見極めるのが、すごくすごく苦手だ。言われたことは素直にそのまま信じて期待してしまいそうになるから、本当にやめてほしい。

幼い頃は、完全にすべての社交辞令を信じていた。(そもそも他者の発言が社交辞令かどうか判断できない時点で、この一文は微妙に成り立たない気もするが。)解釈にズレがないように書いておくが、ここで私が想定している社交辞令とは、「今度○○行こうね」のような言葉である。相手からもらった言葉を、毎回信じて、期待して、待って、そして、何も起こらずにがっかりした。(今思えば、受け身の姿勢だったことも悪かったとは思う。)私は誰かに、何かに誘ってもらえる経験をあまりしてこなかったから、そのようなことを言われたら必ず覚えていたし、なかなか忘れることもなかった。

いっそのこと、「すべて真に受けてしまおう。そして色んな人との人間関係をどんどん深めよう。」くらいまで開き直れたらいいのだが、まだその境地には至れなそうである。

どうか期待させないでほしい。私はいつだって、本当にそうしたいと思ったときにしか言わないのに。なんて。

あーあ、生きるって難しい。