2023年は転職・転居と大きな決断をした一年だったなぁと思います。自分のこの一年を年末に振り返ってみました。
(新年の1月に地震があり、友人も帰省していたこともあり、投稿はお蔵入りにしていました)
2017年から2023年の振り返りも実はしたんですが、文章が長くなりすぎてまとめられなくなってきたので別の機会で。
モバイルアプリの開発チームに異動
2022年の10月からモバイルアプリの開発チーム(8人程度, サーバー・フロントも入れると20人くらい)に異動して、スマホのアプリを開発していました。
そのアプリは入社する前から愛用していたアプリで、こうやって出来ていたのかぁと開発が楽しかったです。
ReactNative製のアプリで、Reactに触れられたのが今のWebエンジニアへのコンバートが出来た理由でした。
この時の自分は開発自体はとても楽しかったのですが、社内でのコミュニケーションの無さに苦しめられていました。全員フルリモートの環境で、誰とも会ったことがなく、Slackのハドルでアイコンを見る毎日(ビデオ通話ではない)。会話も1日に30分の夕会しか無く、そこでは全員が進捗を報告するだけなので、自分の発話する時間は1日5分くらいでした。(Redmineでチケットが降ってきてそれで完全に仕事が回るという大企業のシステム化された強みも感じました)
改善する施策も試みたのですが、どれも上手くいかず。窮屈な家で開発を黙々とし続けるのに病んできてしまい、髪をかきむしるストレス症状も出ていたのですが、仕事終わりの趣味で友達と毎日コミュニケーションを取っていたのが本当に救いでした。
VALORANT
VALORANTという5vs5のタクティカルシューターオンラインゲームをずっとやっていて、凝り性な自分はノート二冊分に勉強をまとめたり、Notionにスキルチェックなどを作っていました。
ノートも取るレベルに研究をしていて、 部活を思い出しました。
esportsとして完成してきていて、プレイヤーとしても観戦者としても盛り上がりました。会社の全社Slackでやってる人とチームを組んだり、オンラインで全く知らない人とマッチングして仲良くなり、イベントに行ったりと本当にオンラインゲーム、VALORANTは自分の人生の中で大切な一部になったなと思います。
ChatGPTがなんか凄すぎる時期
具体的な時期は忘れましたが、本当にすごい事をするようになってきて。アプリを作り出した時には、「あれ、これってエンジニアの必要性あるんだっけ・・?こいつらがコードを書きまくったら、エンジニアのポジションどうなるんだろう」と本気で考えだしました。
その時、降ってくるチケットを爆速で終わらせて、業後はVALORANTに勤しむ毎日で、新卒の時の業後は勉強したり個人開発をしてたのに比べて雲泥の差があり、このままだとマズいなと漠然と思っていました。ですが何かするほどの活力(俗にいうMP?)も体力も落ちていて、漫然と日々を繰り返してしまっていました。
そんな時に友人から副業の紹介を受けてWeb開発の仕事を業務委託で受けました。まだ起業したてのサービスで、触った事のないNextjsでの開発。
仕様が落ちてきて、開発して欲しいという依頼から知識のキャッチアップをして、コードを書く。知る・作る行為は楽しいものの、「やっぱりこれってChatGPTが出てきたら必要なくなるのでは?あとコミュニケーションが無く、結局仕事より趣味の方が楽しいな」と思ってしまってました。
ですがここでの経験は、今の職場を辞めてもギリギリなんとかなるな、という気持ちを作ってくれました。
キャリアとして、今の技術や知識を使ってChatGPTの脅威を感じながらフリーランスになるか、もうエンジニアに固執せず、人と話して考える仕事をしにお金も良いコンサルへの転職などを漠然と考えだしました。
友人からスタートアップへ連れて行かれる
コミュニケーションが少ないのはずっと継続してあったので、GatherやDiscordといったサービスで友人と積極的に話す場を作っていました。
OKRを立て合って、プライベート・仕事の目標に対して頑張り共有しあう場だったのですが、ふとしたことからキャリアの話になり、上の漠然とした悩みをぶつけたところ、大学の先輩がCTOをしているスタートアップが成長しているみたいだから今度行かない?とフランクに誘われました。そこが今いるアセンドで、美味しいご飯を食べながら会社の人と話しました。
周りの人を笑顔にできる人でありたい【ASCEND Stories柗村裕編】|アセンド編集部
会社のインタビューでも話したんですが、本当に話していて柔らかく感じたし、仕事への熱量も物凄い感じました。一番最近入社した年下の先輩が前職はあまりコードを書いていなかったらしいのに、バリバリに書いて作っていて。「話しやすい上に、1年でこの実力・・・?」と憧れ、エンジニアだったらこうなりたいなと思いました。
そこからまた会社のイベントがあった際に行き、副業の話をもらったので、始めました。
とてもありがたいことに、副業の仕事をしてる時じゃなくても来ていいよと言われたので、本当によく行かせていただき、社員の人と話をしました。話していてめちゃくちゃ気持ちのいい人たちばかりで、特にBizの人達と、ゲームを昔していたEMがガンガン話しかけてくれて、どんどん気力が回復していったのを覚えています。自分は誰かと話したり社会と繋がっていないと腐るんだなと実感しました。
その時、会社はビジネス的に良い状態ではなく、業務委託も参加できる全社定例で赤裸々にその会社の状況が共有されていました。シンプルにここまでオープンに公開されてるって凄いなぁと傍目に見ていました。
1社目の大企業の時、最高の組織にいたのに、経営層の全く見えない意思決定で組織を解体された経験がある自分にとっては、全社の意思決定がここまで見える環境ってとても良いなと思いました。
ですが、マネージャー層レベルの人材しか取る気がないという話を聞いていたので、入る事は無いなと思い、今まで考えてなかったスタートアップも視野に入れて転職活動を始めました。
また本職で新卒のメンターになることが決定し、メンターになってしまったらしばらく辞められないので、先に辞表を提出し7月いっぱいで辞めることを確定させました(辞めてもなんとかやっていけるという安心感がここで生きる)
転職活動開始
まずはポートフォリオかなと開発を始めました。
当時VALORANTの大会の曲がすごい好きで、結構いいねをもらったSpotifyの公開プレイリストを作っていたのですが、悪質なユーザーになぜか無関係な曲を何曲も入れられて怒りに満ちていました。
Spotify公式だとプレイリストの曲を大量に削除するのが結構面倒で、特定のユーザーのもののみ削除するといった導線がありませんでした。
無いなら勉強がてら作ってみるかと、サクッと作りました。
Nextjs, Material UI, Tanstack Table, 認証にSupabase, HostingにVercelを利用。ページングや検索ロジックも標準装備のTanstackTableと、認証機能を簡単に入れれたSupabaseなど開発に必要なスタックがものすごい市民化されたなぁと驚きました。
他にも友人の紹介で所属するSaaS会社の業務委託の仕事を受けました。ここでもまたNextjs。オフィスに行ったり、チームの人と話しながら開発が出来てものすごい楽しかったです。
またしても友人の紹介で外資ITコンサルの面談を受け、内定しました。リファラルだとお互いにお金が貰えるし、給料もよく魅力的でした。
他にもWeb企業のカジュアル面談などは受けました。
オファーを受ける
そんな折、今の会社からオファーを頂きました。オファーをもらうとは全く思ってなかったので驚き、数日考えさせていただきました。
自分にスタートアップの適性はあるのか?コンサルに比較して給料は下がるが良いのか?他にもたくさん考えたのですが、以下の点で決めました。
人がよかったし、全員知っていた
コンサルに行った場合、配属ガチャを何回も回すことになる。良いなと思う人達と仕事ができなかったらどうする?オファーをもらったけど現場の人と会えてない
確実に成長できると思った
上で書いた一番下の先輩との話から
ChatGPTには奪えないエンジニアの職能だと思った
いつかコードを書くのはChatGPTが全て行ったとしても仕様を考えてコードが正しいかを判定するのはエンジニアで、ここでのエンジニアの仕事はそれが出来ると感じた。今の会社のプロダクトエンジニアという職種がそれだなぁと
今まで会えなかった出会いがある
業務委託の立場ですが、他社のSaaSのCEOなどが遊びにきていて、そんな方とお話しする機会をいただきました。そこで勧められたライフデザイン手帳をいまだに使っているくらい有難い経験だなぁと覚えています。
経営の透明性
良い組織にいたのに、経営層のメテオフォールで吹っ飛んだ経験(上記)
組織の成長と規模
昔のマンション一室のオフィスをまだ契約していてそこで飲み会に招かれました。ここから今のオフィスになったんだ・・というのを感じたら熱くなってきた。
社長の能力・思想・義理
ドスタートアップとして事業や組織が上手くいくのか?そんな不安があったし、潰れるんじゃないかという気持ちもあったけど、全社定例に参加するにつれて、この会社なら上手く行かなくてもピボットして成功できる経営陣とメンバー、本当に潰れても社長が不義理を絶対に起こさない確信があった
オフライン環境
フルリモートで仕事するのはもうきついと考えてた。メタバースが当たり前になった社会でないときついし、それをする力も自分にはなかった
後はどうでも良い話ですけど、クビになってもなってもなんとかなるなという安心感と、神社でおみくじ引いたら3回連続大吉だったことと、自分が入ったら背番号が17で、自分は17日誕生日だったので運命性も感じたのも背中を押してくれました。
オンボーディング
有休消化に1ヶ月あったので、それを利用してオンボーディングを開始しました。
投資家との面談への同行や、お客さんとのコネクションを築く船上パーティへの同行など普通にエンジニアをしていたら経験する事がなかった怒涛の1ヶ月。
一番印象に残っているのは、Bizメンバーと社長との鳥取出張で顧客訪問をした事です(上記のリンク参照)。深夜までBizメンバーとお客さんのマスターデータを入れながら、営業の熱い話を聞いたり、お客さんとの会食後に酔ったBizメンバーが公園のブランコを漕ぎながらサービスを売りたいー!と叫んでるのを聞きました。
全く物流業界に関心が無かったのに、何故かものすごいこのサービスを売ってお客さんに使って欲しいという気持ちが沸々と湧き上がり燃え上がりました。
結果としてこの時に回った鳥取の会社は全てその後受注を取り、サポートしかしてない自分も物凄い嬉しく、もっと売りたいという気持ちになりました。
オンボーディング後は一人観光で残り、初めての島根に行き、有名な神社を回りました。
東京に帰ると、そういえば俺はエンジニアだったんだと思い出しました。
開発
最初は小玉系の開発で、マスターデータの改善や、CSのオンボーディング時のサポートでDBの整理などを行いました。DBの本番データをSQLを使って操作するなど今までした事がなく、最初は苦労しましたが、だんだんとデータの結びつきなどが分かってきて、データのバックアップ、更新や削除などが出来るようになりました。またこの仕事がBizの営業活動を助けられ、サービスをもっと売りたい会社と自分の気持ちとも合っていて楽しいし、出来ないことが出来るようになってくるのも実感できました。
初の大玉として、労務機能のダッシュボードのフロント開発を先輩と二人三脚で進めました。前々職ではプロトタイプの開発で壊す事が大前提の開発、前職では仕様が落ちてくる開発で、ずっと使われつつ、UI/UXまで自分で決める開発に手こずりました。先輩と議論するときのドメイン知識の獲得をした後、顧客のtoBeを定めて段階的にステップを策定することと、顧客に最速で価値を届けるための効率の良い登り方を教えてもらいました。
展示会に上の機能を出したいという要望もあり、自分の実力だと平日では終わらないと判断し、土日も予定が入ってない時は何も言われず、開発するようになりました。展示会に間に合って自分でお客さんに説明させてもらってエンジニアってやっぱ最高だなと感じました。
最初の頃、会社のリズムと開発スピードに慣れてなく若干消耗していました。そんな時ランニング会があり、普段業務で接点がない社長とEMが近づいてきて「大丈夫か?なんでも言ってね」と話しかけてくれたのをいまだに覚えています。日々の成長のために未だに毎日振り返りを行っているよと教えてくれた社長と、最初はドメインが分からず苦労すると思うが、ドメイン知識がキャッシュとして乗ってくると早く仕事ができるようになるとEMに教えてもらいました。
今思うと新卒の時は毎日振り返りをしていて、その時は自分の成長が速く感じられたなぁと思い出し、振り返りを再開しました。追われまくって振り返れてない時も多いですが、やっぱり振り返りが出来た日の次の日は動きやすくなっている気がします。
引越し
プライベートだと神楽坂に引っ越しました。収入は下げたのに、家賃は以前より上げました。これは好きな配信者のファン太さんの言葉から引用しますが、
時計や車はお金をあげたり下げたりしても機能は変わらない。 家はお金を出すと機能が変わる、質が変わる
これは本当にそうだなと前の家から感じていて、もう二度と家は要求を下げないと決めました。引っ越して家計はどうなったのかと言うと、まさかの改善。会社が毎日交代で晩御飯を作って食べる文化だったのがとても助かりました。他にも改善時の行ってきたことはこちらにまとめました。
3Qの終わり
入社して2ヶ月、車両台帳のページを作ったり、休暇システムの開発などに入りつつ、導入者数増加によるサポートの増加、会社の合宿の幹事になってました。昔から複数のタスクによるマインドシェアの影響が強く、両立できない自分に苦悩してました。
会社全体では、とうとう大きな投資も決まり、シリーズの節目に入り、会社全体が明るくなっていました。昼から焼肉とビールでお祝いする場にいれたのは幸運でした。
そんな明るい会社の合宿では先輩幹事と社員のみんなが楽しもうとする気持ちに救われ、企画の至らなさなどをカバーしてもらう事ができ、幹事であるにも関わらず物凄い楽しむ事ができました。
企画した焚き火で、火を囲みながら投資家の方達と自身の成長や会社の成長についてしっぽりと議論をしたのもとても良い経験。火を見るとチルな気持ちになるのか、ぽつりぽつりと火を見つめながら語りが出る空間がとても素敵で。その時に投資家の方に言われた外部に自身のベンチマークとなる人を見つけよう、全社採用をしていく。自分のアカウントを育てよう、1年間毎日何か続けるなどのアドバイスを愚直に実施しました。採用広報活動の一環として他社のイベントに参加し、同じくらいのエンジニアと仲良くなる。アカウントを育てるためにXを運用し始める。毎日3ポスト以上投稿して記録するなどなど。他社のエンジニアの取り組みを見て自分に出来ていないことは何かと考えるきっかけになれたし、採用広報活動に力を入れることで組織について考えるきっかけになりました。
ラストの4Q
プロダクトの開発としては、労務プロダクトのシフト機能の自動登録のフロントとバックエンドの両方やらせてもらいました。バックエンドの経験が浅く、設計の難しさに苦しめられましたが、労務マスターの先輩と壁打ちをさせてもらって、ドメイン駆動設計や、細かい粒度のコミットでのトランクベース開発を学びました。実際にリリースしお客さんが適切に使ってくれてるのをDBのデータで自分で把握して喜べるのは、フルスタックに開発できる旨味だと思いました。 前職のフロント(モバイル)だけだと本当にユーザーが使ってくれてるのか分からず、俺の仕事ってどれくらい人の役に立ってんだ?という気持ちがずっとありました。
また、自分が入る時くらいの、プロダクトが売れない状態とは異なり、どんどんプロダクトが売れる状態になっていました。
それに伴いCSからのサポート依頼はこのように増大してました。嬉しい悲鳴ですね。
Slackのワークフローで依頼を受けて解決していたのですが、数がどんどん増えてきたことで1日で捌ききれなくなってきて、自分の中で要望をロストすることが増えてきました。
サポートを生まないようにする機能を作ることを考えますが優先度の話にもちろんなります。優先度の議論をする材料も自分が思うなんとなくの感覚になってしまうので、まずは一旦データを貯めようとチケット管理ツールを入れると決意しました。また同時にCPOが顧客の要望がどんだけ上がってきて、どれが解決されてるのかの棚卸しをSlackベースでするのがきついと言ってくれたのもあり、CPOの助けにもなるなとモチベーションは上がっていました。
Slackのコミュニケーションベースに対応できるツールとして、最近行っていたイベントとXのTLでLinearの存在を知っていました。
そこで入れてみた結果LeadTimeなどをこんな形で見えたりします。来季以降もこのままデータを貯めて行って、意思決定に何か一つ関わるデータが見れたら良いなと思っています。
他にも今まで使っていたMongoDBからPostgres移行や、データ構造の変化に伴う機能の拡大改修などをさせていただきました。できることが増えて行ってるのを実感できていますが、12月は機能と言える開発を出来てないので来Qは機能・プロダクト開発を頑張りたいです。
採用面だと全社的な採用活動によって今毎月人が入って、組織がどんどん大きくなって行く・行きそうなのを感じていて今が一番熱い時期だと思っています
技術広報としては、全体的に内部圧力がかかっているように感じました。なんだか分からないけど外部発信するのにサイドブレーキがかかってるような感覚。理由は全く分からないけど、このまま働いていると自分がずっと外で登壇などの発信ができなくなる謎の自信がありました。なので今Qは初心者用のLTみたいなもので一回は確実に登壇しようと決めました。初心者の特権を利用。
BonenKaigi 〜2023年 開発忘年会!〜を開催しました!
こちらのイベントで2023年の振り返りを兼ねて登壇させていただきました。
他だとアドカレに参加させてもらって小さい記事をいくつか書かせていただきました。
Prodcut Engineer Night #1 イベントレポート!
React Native 0.73のReleaseNoteのまとめと新しいデバッガーの確認
ログラスさんやマイベストさんのイベントに行った時に議論をさせてもらった、各社取り組みは全く違うけど、共通してたのはアウトプットを行う文化を醸成することが目的だという話でした。この文化を作って行くための方法論はなんでもよくて(インセンティブを出すとか), 一番の後輩の自分ができることは小さいアウトプットを何個も出す、周りへはフィードバックではなくフィードフォワードを行なってキツくないやっていきを高めていく事、を胸に日々過ごしてみたいと思います。
まとめと2024年
これらの行動を促してくれたのもアカウントを育てろというミッションと、会社外部のベンチマークを見つけろというアドバイスのおかげだなと思います。改めて合宿を作ってきた会社と外部アドバイザーの方々への感謝。
そして振り返っている内に気づきましたが、全ての選択に友人の存在があり、本当に助けられた一年だったなと感じました。家訓が「友達だけは大事にしろ」で、それの影響もあるので、家族にも感謝です。
上で教えてもらったライフデザイン手帳を使って今年の目標を記載しました。ロール別に一年の目標を定めるのですが、家族の一員としては、親を旅行に連れていくこと。2〜3年後には海外旅行に連れて行きます。
ビジネスマンとしては、お金を貯め、未来の家族のために投資をしてお金を増やす事。また、議論をするときの解像度・言語化が弱いので本を月一冊読んでいきます。これも議論やワーディングが凄い上手い社長との話で「大学院生の時に哲学科で3行くらいの文を何時間もかけて議論をした」という話を聞き、多読も大事だがしっかり読み込んで血肉にするんだという気持ちでこのペースにしました。
エンジニアとしては、良い・使われる・喜ばれるプロダクトを作りたいです。
2023年お疲れ様でした。