「とうちゃん、なんで私ら新年度前日に限ってこんな運動するんかな」
「んー、そうだっけ」
「だって去年なんかさ、今日みたいに散歩した上に公園でキャッチボールしたよ」
まだ明るいうちに始まった散歩は終盤を迎え、道端に闇が紛れ込む時間帯になってきた。去年は私の入社前日で、今年とは違って桜がもう咲いていて、元野球部の投げる球は速くてすごくて、だけど上手に捕ってもらえるから気持ちがよかった。今日は、近所なのに知らない道を二人で歩いた。
「新年度前日なのに疲れるのにって言いながら歩いちゃってて、気がついたらグローブ持ってた」
天気がよかった。あの日も、今日も。
「そうじゃったかもなあ」
覚えてる。なぜかはわからないけど、私はあの日のことをたぶんずっとよく覚えてるんだと思う。
それは寝ぼすけ大学生からいきなりフルタイム社会人になるというのに余計に体力を消耗する真似をしてしまったことだったり、二人で桜を眺めたという恋人同士らしい思い出ができたことだったりが関係するのかもしれないけれど、そうでもないような気もする。そのどれでもいいし、どれでなくてもいい。記憶の定着に理由なんてない。
「一年働いたよ、私」
「そうだねえ。よくがんばりました」
一年間、私はこの花まるで囲まれたスタンプをこの人にいくつ押してもらったのだろう。ほんの些細なことでも花まるをもらえたから、きっと相当な数になっているはずだ。
頑張った、とは思っていない。ただ日々をこなして過ごして、通り過ぎていっただけでしかない。けれど、日々をただ通り過ぎるだけでも人間は力を消耗するもので、時に耐えがたくなることもある。私はそのあたりのことは自力で乗り越えたのだと思う。ひとまずは、一年。
一年間、楽しかったと思えるのは隣にこの人がいてくれたおかげだろう。また一年、そのまた一年も次の一年も、歩んで投げてこなしていければいい。それ以上のことは何も望まない。ああでも、今日はキャッチボールはしないからね。