まあ、まあまあ我ながら性格が悪いなと思う。
そこへ行くと一応探してはみるのだけど、ないと安心する。一度だけ見つけたことはある。だけど手に取るだけ取って、ページを捲って戻してしまった。きっと手に入れたところで二度と開かないだろう、とほとんど確信していたから。
認めていないわけではなくて、むしろ認めているからこそだということもわかっていて、だから私は好きじゃないな、と言う。その人は、そう思われてもいい人に、なったということだ。仲間内の持ち上げ合いから離れたのだから、正当に評価されるべき人なのだ、たぶん、本来は。
ただ、持ち上げ合いしか知らない人たちはそこらじゅうにいて、私はその輪に入っていきたくないからあえて触れずにいる。まあ、たぶん、本人も持ち上げられた方が安心だとは思う。だけど心の底から好きだと言えない私がわざわざ出向く必要までは感じないだけだ。心の底から好きな人が、好きだと叫んでいればいい。最初からそういう世界だ。
さて、やる気がなくなるわけでもモチベーションが上がらないわけでもないけれど、今年本気を出すかどうか、考えあぐねている。他の公募でもいいだろうか、でもいっぺんは狙ってみてもいいんじゃなかろうか、だけど狙いが当たっても外れても虚しくなりやしないだろうか、それじゃあ意味があるのだろうか、とぐるぐる頭を悩ませている。
去年も、一昨年も、狙いはしなかった。明らかに門前払いをくらうようなものを、当時の私は書きたかったから書いた。やはり狙わないと次には進めないのだ、ということもわかってはいた。
今年は書きたいものがたまたま狙いを定めることができるかもしれなくて、でもこの賞にそもそも私は賛同していなくて、軽々しく乗っかってカモになってもいいものか、と自らに問いかける。だけど、まあ、経験だよな。一回くらい書くくらいなら減るもんでもなし。何より私は6月までの密かな目標を達成せねばならないのだ。だから、書く。覚悟のために書く。