義父は発達障害に近い何かを抱えているのでは、と思うことがある。
以前より夫から「父親のダメエピソード」を聞くにつけ、もしかすると義父はただのウッカリさんではないのでは?と疑っているのだが、義父は勉強はできたのでよい大学にも行っており、義父のきょうだいはみな、義父は「できないことが本当にできない」というのをわかっていない。単純に「やればできるのに、だらしないだけ」と考えているようだ。
配偶者の義母は天然キャラだったから、義父のきょうだい全員から見事に嫌われていて(というか、憎まれていたに等しい)、義父のミスはすべて義母のせい、義母の入れ知恵の如き言われようだった。そういう点では義父のきょうだいは皆、邪悪である。義父は親の店を継いでおり、その店をハブにしてきょうだいと密だが歪な関係性が築かれていたため、うまく立ち回れるはずもない義父はきょうだいと妻の間で板挟みになっていた。
義母は10年近く前に病で亡くなったのだが、彼女がいよいよ自宅で過ごすのもギリギリの状況というとき、こんなことがあった。
転倒するようになったら覚悟が必要ですと病院から注意されていて、毎日様子を見にいっていたある日、義母が「私、今朝転んだの」と言う。
明け方トイレに行って転倒し、自力では起き上がれないので、何度も何度も義父の名前を呼んだのに起きない。そのまま、ずっと何時間も義父が起きるまでそこに倒れていた、と義母は言った。
「お義父さん、なんですぐに電話してこなかったの? 転倒したら私にすぐ連絡するよう言ったよね?」と義父を問い詰めると、義父は半分おどおどし、半分怒ったような口調で、義母に向かってこう言い放った。
「お前、何で倒れる前にストーブのスイッチを入れないんだよう! ストーブのスイッチを入れたらよかったじゃないか!」
は? 何言ってるの、この人? ポカンとしている私と義母に、畳み掛けるようにして彼は「ストーブのスイッチを入れてから倒れれば温かいのに、寒くてこれじゃ風邪を引いちゃう」と説明した。このとき義母は無言だったが、やがて私に「あの人とは一緒に暮らせない。このままだと私は殺される」と訴えるようになる。
そうした状況で体力と気力を失った義母は、ついに自宅で過ごすのが無理になり、あと一晩なんとか頑張って翌朝すぐ入院という状況になった。病院に行く日の朝、バタバタと準備をしている最中、夫が義父に「大通りでタクシーをつかまえて、家の前まで来てもらって」と頼んだ。タクシーが来たら呼びに来ると言ってたのに、いくら待っても義父が来ない。家は駅のそばの裏道にあり、こんなにタクシーがつかまらないということはない。夫が様子を見に行くと、なんと義父は
家(店)の前の道路をホウキで掃いていた。
朝、緊迫した雰囲気で、すぐ病院までタクシーで行かなくてはならないという中で、何で掃除をしているのか。後日、この話を聞かせた義伯母は「あら、動転しちゃったのね」と笑っていたが、そういうことではない。
夫とも話し合ったのだが、まず義父は掃除に対する熱意がすごい。以前から店の経営よりも店の前の掃除に集中するタイプであった。当時、義父母は店の上に住んでいた。タクシーを呼んできてと言われて階段を降りている時は、タクシーを呼ぶ気満々だっただろう。しかし外に出た時、道路のゴミが目に入り、きっとそっちに注意がいってしまったんだと思う。「あ!そうじをしなくちゃ!」といったん思ったら、タクシーのことは頭からきれいさっぱり消えてしまったのだ。
当時は私もよくわかっていなくて、そんな義父に対してよく憤慨していた。私がグチを言っても義伯母はふたりとも、義父がああなったのは義母のせいだと笑っていた。夫が義父の問題を説明した時も「自分の父親のことを悪く言うな!」と義伯母は怒った。しかし、その義伯母たちも、実際に義父と一緒に住むようになると、ついに「あんなにダメな人間とは思わなかった」「あまりにも酷すぎる」「もう一緒に暮らせない」と言い出すようになる。私からすると、最初からわかっていたじゃん、今さら何を?という感じだ。
義父が本当に発達障害かどうかは検査もしてないのでわからない。それに高齢なので今さらわかったとしてもどうしようもないのだけれど、昔からいろんなところで苦労していたのではないかと想像すると気の毒でもある。義父が何かやらかしても「しょうがないなあ!」と思うようにしたい。しかしそうは言っても、ウッカリにウッカリが重なりすぎるとさすがに「ジジイ、マジでムカつく!!」となることもある。
ようやく義伯母がふたりとも施設に入り、ひとり暮らしになった義父は、今は淋しいというよりも誰からも文句を言われずにマイペースで生活できる方が上回って幸せそうであり、そこはよかった。のんびり暮らす期間が長くできるよう、こちらも努力はしたい。しかしそこに立ちはだかるのは、かかる費用という問題なのだった。