まじめな話するかー。たまにはね。ここであんまりそういう話をしないようにしたいなとは思ってるんだけど、私はどうにも言葉にして出力しないと気が済まないタチのようなのでそういう日もあると思って…… 諦めな!
で。人生、つくづく呪いが多い。そんな物々しい言い方をしなくてもそれはただの影響でしかなくて、当たり前の事ではあるけど人はそれから逃げられない。すべてから逃げる必要もない。影響が私を形作っている。けどその中に存在する負の影響を呪いだねえ…と思う事がある。まあ、一般論かもしれない。
この一年か二年ほど、それが何個か解けた。ここ最近生きてきた中では結構な数だったんじゃないだろうか。それをここでひとつずつ発表する事は当然ない。私がどう生きてどんな呪いにかけられてそれをどんな風に解いたかなんて書くことに意味はないのだ。ただ、人からかけられた呪いを解くのはやっぱり人だった。影響が私を形作るがゆえに、言葉は私に纏わって凍り付いたものを解かしてくれる。私が私の抱えた呪いを吐露したとき、涙を流して否定してくれた人がいた。家族でもなんでもない、言ってしまえば赤の他人が。あの時の感情をなんと言ったらいいか。けどひとつだけ確信した事があった。自分を蔑んで、自分がこの場にいるべきではないと思うのはもうやめようと。私が私を信じていない事で、誰かに涙を流させてはいけないと、それだけははっきり感じた。だからもう私は私をいらないとは思わない。思わなくなることが出来た。そういう自分になったら、突然わけもなく悲しくなることもなくなった。
呪い、影響、以外にも、なかなか色々な事が起こった人生だと思う。昔から付き合いのある人々の当時のドン引きっぷりを見るに、自分で思ってるより本当に色々起きているんだと思う。それもまあ、「人生は画面端」と笑い飛ばせるようになってきた。人生は画面端、気に入っている。社内報の自己紹介リレーが回ってきたら絶対座右の銘に書く。人生は画面端なので、たぶんこれからも何度となく苛烈な攻撃に追い詰められるだろう。でも画面端イコール負けではない。不利なだけ。あとは死ななきゃ安いってやつだわな!