誕生日を目前に

mayim
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先日、約10年ほど使っていた某SNSのアカウントを2つ消した。

青い鳥でなくなってしまった時点で、うっすらと手放すことを考え始めた。

ひとつは公開アカウントで、独身時代からのモヤモヤを吐き出す場所として始めた。

もうひとつは鍵アカウントで、いわゆる愚痴アカになっていった。

公開アカウントは徐々にママアカウントになり、同じ立場の方の悩みや愚痴で盛り上がることもよくあった。

特に育児に関する情報は有益なことがたくさんで、本当に助かることが多かった。

鍵アカは、独特な肩書きゆえのディープな悩みもたくさん書いたし、見ることも多かった。

青い鳥がいなくなることが分かった頃あたりから、なんとなくモヤモヤすることが多くなった。

ここに私はもう必要ない気がする。

そんな気持ちが日々強くなっていった。

とはいえ、やはり情報量としてはまだまだ多く、有益な部分もある。

情報収集は私の趣味の一部でもあるので、せめてアカウントを統合しようと、新設して引っ越すことにした。

10年。

そう考えると消してしまうのは惜しい気もした。

それまで紡いできたものが無くなってしまうのか、と。

かといって、そこに執着している自分はなんだか格好悪い気もした。

どちらのアカウントも、私の想いをたくさん乗せて、楽しかったこと、嬉しかったこと、悩んでいること、恨みつらみも罵詈雑言もあふれるほど書いた。

もういいか。

ちゃんと消そう。

そう決めてからは早かった。

私の心を優先して、見る情報を狭めたかったので、一部の人に引越しをお知らせすると、思いのほかフォローしてくれる方がいたのが嬉しかった。

情けでフォローしてくれた方もいるかもしれないけれど、私の投稿を見てくれてる人がいるんだと実感した。

これがSNSのいいところでもあり、怖いところでもあるんだけれども。

アカウントを消した時、やっぱりじわりとした寂しさがあった。

さすがに泣きはしなかったけど、胸がキュッとなった。

何かを手放すって、やっぱりいつでも寂しい。

自分の決断だとしても、迷いが出るし、やめるのをやめようかな、なんて思いそうになる。

でも、これに関してはやっぱり手放して良かったと思う。

とはいえ、新設のアカウントはあるので、結局まだ見てしまうのだけど、

これからはもう少し、時間を有益に使うことに専念しようと思う。

私の10年を支えてくれてありがとう🕊️

@mayim
水瓶座。文字校正かじり中。とあるメディアの編集部に潜む。